■2011年03月28日(月)18:15  感動秘話「雪絵ちゃんとの最後の約束」
 本日は、昨年の『致知』10月号に掲載され、
 大きな感動を呼んだ、特別支援学級教諭・
 山元加津子さんのお話をご紹介します。


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       「雪絵ちゃんとの最後の約束」
       
       
            山元加津子(特別支援学級教諭)
        
       『致知』2010年10月号
       連載第27回 生命のメッセージより


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雪絵ちゃんは十二月二十八日、
雪のきれいな日に生まれた女の子で、
多発性硬化症(MS)といって、
頭の中のいろいろな部分が硬くなっていって、
目が見えなくなったり、耳が聞こえなくなったり、
手足が動かなくなったりする病気でした。

だけど雪絵ちゃんはいつも
「雪絵はMSでよかったよ」と言うんです。

「MSだから気づけた素敵なことがあるし、
 車椅子だからこそ知っている素敵なことがいっぱいあるよ。
 だからMSの私を丸ごと愛するの」って。


私はそんな雪絵ちゃんが大好きで、
学校を離れてからもずっとお友達で、
「きょうはこんなことがあったよ」と話しては
「かっこちゃん、よかったね」と言ってくれていました。

でも、病気はどんどん進行して、
ほとんど手足が動かせなくなってしまいました。


 (中略)


雪絵ちゃんは十月に大きな再発があり、
意識不明になりました。

そして十二月二十三日にはまた再発するのですが、
翌日私は出版の件で一年前から
韓国に行くことが決まっていたので、
小松空港へ向かったのです。

ところが、とってもいいお天気なのに
飛行機が飛ばないのです。
韓国の出版社の方にお電話したら


「おかしいですね、羽田便も福岡便も出ていますよ。
 こっちもとても天気がいいのに」
 
 
と。仕方がないので、次の二十六日の便で行くことになりました。
そして二十六日の九時、出発の準備をしていたら、
電話のベルがなりました。
雪絵ちゃんが亡くなった報せでした。


お家へ駆けつけると、雪絵ちゃんは眠るような
優しい顔で横になっていました。

お母さんは


「雪絵はきょう亡くなろうと
 決めていたんだと思います」
 
 
とおっしゃいました。
お正月になったら遠くの病院に
転院することが決まっていて、
お家が大好きな雪絵ちゃんはかつてその病院には
行きたくないと言っていたそうで、
「きっと二十八日の誕生日もお正月も家で過ごそうと
 思ったんだと思います」と。
 
私は韓国に行かなければいけない事情をお話ししたら、


「雪絵は先生と行った温泉旅行が
 すごく嬉しかったみたいですから、
 形見のものを持って、雪絵を連れて行ってください」
 
 
といくつか雪絵ちゃんのものをくださって、
それを手に私はお通夜もお葬式にも出ないで旅立ったんです。

韓国に着いてからも私は短かった雪絵ちゃんの
人生を思っていました。


「MSでよかった」と言っていたけれど、
 本当は強がって言っていただけなんじゃない?
 本当はつらい人生だったんじゃない?


そんなふうに思っていたのですが、
偶然持っていた荷物の中に、
雪絵ちゃんがつくった詩がありました。



  誕生日


 私、今日うまれたの。


 一分一秒の狂いもなく、今日誕生しました。


 少しでもずれていたら、今頃健康だったかもしれない。


 今の人生を送るには、一分一秒のくるいもなく
 生まれてこなければいけなかったの。


 結構これって難しいんだよ。


 一二月二八日、私の大好きで、大切で、しあわせな日。


 今日生まれてきて大成功!


「すのう」に生まれてきて、これもまた大成功!


     ※すのう=雪絵ちゃんのペンネーム



私は悲しくて悲しくて、日本に帰ってきてからも
ご飯も食べられなかったし、夜も眠れませんでした。


「これからは一体誰が私の話を聞いて
“よかったね”って言ってくれるの」


みたいな自分勝手な思いになっていたんです。

このままじゃ自分自身がダメになってしまうなと感じた時、
最後に雪絵ちゃんと話した日のことを思い出しました。


「かっこちゃん、きょうはどうしても
 聞いてほしいことがあるの。
 いまから言うことは、絶対にダメとか嫌とか言わないで」
 

と何度も念押しするんですね。


「いいよ、何でも聞くよ」


と言うと、雪絵ちゃんは私にこう言ったんです。


「前にかっこちゃんは病気や障がいは大事だって言ったよね。
 人間はみんな違ってみんなが大事だということも
 科学的に証明されているとも言ったよね。

 それを世界中の人が当たり前に知っている世の中に、
 かっこちゃんがして」


“世界中なんて、そんなこと私には無理”と言いかけた時、
雪絵ちゃんに


「何にも言わないで。何でも聞いてくれるって言ったよね」


と言われて、私は


「分かったよ」


と約束したんです。

そうだ、雪絵ちゃんとの約束を果たさなきゃ。
この思いが私に再び立ち上がる力を与えてくれました。
そして本や講演を通じて、多くの人にそのことを
伝えたいと思うようになったのです。

■2011年03月14日(月)09:25  美容室の天使
熊本・阿蘇の外輪山中で静かに陶器づくりと
 農業を営む北川八郎さん。
 
 以前、『致知』に連載され、毎回好評を呼んでいた
 「三農七陶」より、心に残るお話をご紹介します。




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         「美容室の天使」
       
       
            北川八郎(陶芸家)
        
       『致知』2004年7月号
        連載「三農七陶」より





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 四月は三越での個展もあって
 東京滞在が一か月近くになった。

 その間たくさんの人々と出会った。
 たくさんの方々にお世話になった。
 そしてたくさんの生き方を見た。

 その人たちの中に天職を得て
(本人はそう思っていないかもしれないが)、
 天使になった人たちがいるので紹介したい。


 先日、武蔵野の吉祥寺にある
 ラッシェルという美容院に招かれた。
 そこで働く美容師さんたちが皆、実に仲がいい。
 笑顔がヒマワリのようだ。
 
 
 そこに一人の天使がいる。
 
 
 顔の丸い、笑顔の素晴らしい青年だ。
 何か生き生きとしている。
 
 
 その彼、西村君は幼い頃から、
 いつもワンテンポ遅れるので成績もいまいちだった。
 
 仕事に就いても上手でないために叱られてばかりいた。
 しかし、一つだけ素晴らしい性質を持っていた。
 それは素直さだった。

 美容室の採用試験の時、経営トップだった大野さんが面接し、
 彼のヤンキーな衣装のひどさにかわいそうになり、
 つい一言忠告した。


 「君ね。その言葉遣いと、そんな服装では、
  あなたをどこの会社も採用してくれないよ。
  ウン! スン! と返事をしないでハイに直し、
  背広に身を包んできなさい」
  

 と言われ、二日後人から借りた寸足らずの背広で
 態度も変えて、再度面接を受けたのである。


 その日は大野さんは出張で、
 オーナーの日向さんが受け持ったため合格してしまった。

 後で知った大野さんは苦虫をかみつぶした顔で
 オーナーに迫った。
 
 日向さんは
 
 
 「いろんな人がいたほうがいい。
  彼のいかにも借り物と分かる背広姿が
  私の心を打ったの」。


 日向さんの見込み通り、西村君は天使になった。
 
 彼は人から何を言われても美容師という仕事が好きな上、
 先輩から「ヘタ、遅い」と言われても、
 それを苦にとらず、早く仕事をする工夫や、
 どうしたら、例えばクシ洗いも
 きれいに仕上がるか丁寧に見直した。
 
 そのおかげでささいな作業でも誰よりも速く丁寧で、
 きれいにできるようになった。
 
 自分の苦手なカールという仕事などは上手な先輩に譲り、
 傍で見学した。
 
 いろいろな先輩の苦情もやわらかく受け止め、
 素直に仕事を工夫していったのである。


 いまではそれが生き方になり、その会社において
 「なくてはならない存在」になってしまったという。
 日向さんから「彼なくして会社はまわらない」とまで信頼され、
 新人たちの鑑になり、しかも指導者の一人に選ばれ、
 尊敬されている。
 
 大野さんも「実にいい顔になった。私が恥ずかしいくらいです」
 と言われる。
 
 素直とはなんと素晴らしい性質だろう。
 笑顔で周囲を救い始めたのである。


       (略)


 私の二十代、三十代の頃、
 大野さんたちのように、人のために祈り、
 人のために人生を尽くそうとしただろうか。
 
 過去を消せる消しゴムがあったなら、
 あれこれの汚れを消したい思いで一杯だ。
 天使たちは皆笑顔がすばらしく、やさしい目をしている。

■2011年03月04日(金)20:12  日本の良さを
以下は『致知』2009年7月号、
 呉善花(拓殖大学国際学部教授)先生の
 講演会記事より
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 私自身、まだその途上でありますが、
 日本人の美意識のあり方について
 一つのヒントを得たエピソードをご紹介します。
 
 ヒントをくれたのは「食器」です。


 アジア人の多くに共通する美意識は、
 派手な色彩、ピカピカ輝いて、
 満月のように均一に整った成形美を好みます。

 象徴的なものとして、韓国では
 ピカピカのステンレス食器ほど
 品があって美しいものはないと考えられています。


 しかし日本ではどうでしょう。
 
 備前焼など、色はドス黒くて、形もいびつです。
 私は、その不完全さに「美」を感じることは
 できませんでした。
 
 しかし、日本人を理解するためにと、
 一つずつ買い集めていきました。

 私の食器棚がピカピカからドス黒いもので
 埋まってくるにつれて、
 不思議な気持ちが湧いてきました。
 
 もっと集めたいという気持ちが
 止まらなくなっていったのです。
 「これだ!」と思いました。

 真ん丸で欠けたところのないステンレス食器ならば、
 一式集まったときに、それ以上は頭が働かなくなります。
 完成されてしまうためです。


 ところが日本の焼き物は、色は素朴で、
 形もバラバラ、左右に曲がって……と飽きることがなく、
 次はどんな曲がり方をしたものを集めようかと
 楽しくてしょうがなくなりました。止まらないのです。

 この「止まることのない文化」こそが
 日本を表す美意識の表れではないかと思いました。

 日光東照宮や出雲大社では、
 左右の一方の柱が短いそうです。


 それは「永遠に造り続ける」という印なのだそうです。


 そしてこれは、自然に対する
 「受け身」の表れでもあるのではないでしょうか。
 完璧を求めるのではなく、あるものを受け止め、
 そこに感謝、感動する感性。

 そして、日本人は、自然だけでなく
 外国からの様々な価値観や思想を受け止め
 「融合、調和の文化」を育んできました。

 受容、融合、調和──。
 これらの日本的な美意識や感性こそが、
 日本と韓国の「わずかな違い」であり、
 大きな距離を生み出しているものにほかなりません。

 そしてこの日本的なものの中に、
 日本だけではなく、世界の未来があるように
 思えてならないのです。

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