■2011年04月25日(月)12:37  奇跡を起こす方程式
    致知出版社の「人間力メルマガ」

       【2011/4/25】 致知出版社編集部
発行
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   このメールマガジンでは、
   人間学を学ぶ月刊誌『致知』から
   そのエッセンスの一部をご紹介しています。
   
   本日は、『致知』2007年7月号の記事からです。
   
   阪神・淡路大震災で家も店も財産も
   すべて失った古市忠夫さんが、
   手元にたった一つ残ったゴルフバッグに
   人生を懸けて挑んだプロテスト。

   合格率3%の難関を見事突破した古市さんが見つけた、
   奇跡を起こすために必要なマインドとは──。


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       「奇跡を起こす方程式」
       
       
        古市忠夫(プロゴルファー)
                
        
       『致知』2007年7月号
         対談「松下幸之助に学んだこと」より

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 最近、なんで俺がこんなありえない人生を
 歩んでいるんだろうと考えた時、
 「奇跡を起こす方程式」を思いついたんです。



 「奇跡=才能×努力×感謝力」



 さっきも言うたように、才能や努力では
 プロテストを受ける二十代の若者には敵いません。
 しかし、感謝力だったら負けない自信がある。

 震災に遭うまでは、どんな状況でも
 不撓不屈で頑張ることのできる人が勇者だと思っていました。
 でも、真の勇者は頑張れることへ感謝できる人なんですね。
 
 才能と努力だけで栄光を掴みにいくと、
 うぬぼれるから怖いのです。
 
 最後の一打で手が届かなかったりする。
 だからプロテストを見ていても、
 通る、通らないというのは大体分かります。


 どこで見極めるかといえば、まず、
 感謝力が強い人はきちんと挨拶をします。
 
 こっちが一礼して
 「おはようございます」と挨拶しているのに、
 首だけでペコッとかいうのは挨拶ちゃうで(笑)。

 それから歩き方。大地を踏みしめて、
 胸を張ってスーッと歩ける人は通ります。
 どんなにミスをしても、
 頑張れることへ感謝できる人はオドオドしない。

  
 人生は最後の最後まで分からない、というのが私の持論です。

 私たちは震災であまりにも多くのものを失いました。
 しかし、それによって大切なのは物ではなく、
 お金でもなく、地位や名声でもない。
 
 人の愛であり、優しさであり、人を思いやる心であり、
 感謝であり、積極的な心だと分かった。
 そのおかげで、いま、私は夢のような人生を歩んでいる。
 人生、何がピンチで何がチャンスか、
 その時点では判断できないと思うんですよ。

 でも、どんな時でも正直に、悔いなく、
 感謝の心を持って生きると、
 ものすごいパワーが生まれて奇跡を起こしてくれる。
 それは誰が起こしてくれるのか? 
 周りの人です。自分の力では奇跡は起きません。
 
 なんぼおっちゃんが頑張ったところで、
 映画なんてできませんて。
 (編集部注 ※古市氏の半生は映画化もされました)
 
 まして上映会にタイガー・ウッズを呼んで、
 一緒にゴルフなんて絶対できへん。だから、
 奇跡は周囲の人が起こしてくれるものなのです。
 
 
 感謝は人の心を大きく、美しく、そして強くします。
 いくらゴルフが上手でもプロにはなれません。
 強い人がプロになるんです。
 そして強い人はいつも周りの人に感謝している。
 だからますます強くなる。
 
 いろいろなプロの姿を見てきて、そう思いますね。

■2011年04月25日(月)12:25  神様がくれたさつまいも
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     致知出版社の「人間力メルマガ」

       【2011/4/24】 致知出版社編集部 発行
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本日は、『致知』の人気連載コーナー「致知随想」の中から、
特に反響の多かった記事をセレクトしてご紹介します。

今回は、エッセイスト・海老名香葉子氏が
語ってくださった戦争体験のお話をご紹介します。
ぜひ最後までお読みください。


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■「致知随想」ベストセレクション <その55>
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          「神様がくれたさつまいも」
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海老名香葉子(えびな・かよこ=エッセ
イスト)

             『致知』2005年8月号「致知随想」
             ※肩書きは『致知』掲載当時のものです


…………………………………………………………………………………………………

 昭和二十年三月十日、東京が米軍による大空襲に遭い、
 たった二時間のうちに十万人が亡くなりました。
 
 早いものであれから六十年。
 当時十一歳だった私も七十歳になり、
 これ以上齢を重ねては、戦火の恐ろしさと
 平和の大切さを後世に伝えることができなくなる。
 
 私は戦火を逃れるため、昭和十九年に
 静岡県沼津市のおばの家に一人で縁故疎開しました。
 
 出発当日、私は大好きなおばさんの家に行けると
 わくわくしていましたが、母は涙をぼろぼろこぼしながら、
 お守りを首からかけてくれると、
 
 
 「かよちゃんは明るくて元気で強い子だから大丈夫よ」
 
 
 と何度も、何度も言うのです。

 母があまりにも悲しい顔をしているので、
 だんだんと心細くなってきました。
 
 
 「母ちゃん、友達ができなかったらどうしよう」
 
 
 と呟くと、母は私の心細さを取り払ってくれるかのように、
 
 
 「大丈夫よ。あなたは人に好かれるから大丈夫よ。
  明るくて元気で強い子だから大丈夫よ」
 
  
 と何度も何度も繰り返しました。


 それが最後の言葉となりました。


 空襲後、生き残ったのは疎開していた私と、
 すぐ上の兄・喜三郎だけでした。
 兄は家族五人が亡くなったことを伝えるため
 沼津までやってきましたが、
 きっと焼け爛れた死体の山をまたいで、
 汽車にぶら下がるようにして東京からきてくれたのでしょう。
 
 その夜、私は兄にしがみ付きながら、いつまでも泣いていました。

 戦中戦後の動乱で誰もが生きていくのに精一杯の時代、
 二人もおばに世話になるのは悪いと、
 兄はあてもなく東京へ戻り、
 私は引き続き沼津のおばの家に残りました。
 
 そのあとは東京・中野のおばのもとへ身を寄せました。

 どうにか置いてもらおうと一所懸命お手伝いをしましたが、
 ある冬の日、瓶に水を張っていないという理由で、
 おばにものすごく叱られました。
 
 それまでは
 「いい子でいなくちゃ、好かれる子でいなくちゃ」と
 思っていましたが、その日はひどく悲しくなって
 家を飛び出しました。

 向かったのは、昔家族で住んでいた本所の家の焼け跡でした。
 焼け残った石段に腰を下ろし、ヒラヒラと雪が舞い散る中、
 目を閉じると家族の皆と過ごした平和な日々が蘇ってきました。


「どうしてみんな私を一人にしたの? 
 もうこのままでいいや……」


 その時、一人の復員兵が通りかかりました。
 私の前で立ち止まり、鞄の中から一本のさつまいもを
 取り出したかと思うと、半分に割って差し出しました。


「姉ちゃん、これ食べな。頑張らなくちゃダメだよ!」


 物が食べられない時代、見ず知らずの人が食糧を
 分けてくれることなど考えられないことです。
 私は夢中になって頬張りましたが、
 ふとお礼を言うのを忘れたと気づき、振り返りましたが、
 もうそこには誰もいませんでした。  

いまにして思うと、あれは神様だったのかもしれません。
 神は私に「生きよ」と告げたのだと思っています。

 さつまいもを食べて元気になった私は、
 走っておばの家に戻りましたが、
 しばらくするとその家にもいられなくなりました。
 伝手で転々とする中で、つらいことはたくさんありました。

 でも拗ねたり、挫けたり、横道に逸れるようなことは
 しませんでした。
 
 それは両親に愛された記憶があるからです。
 
 悪さをしたら父ちゃんが悲しむ、こんなことで泣いたら、
 別れ際に「かよちゃんは強い子よ」と言ってくれた
 母ちゃんが悲しむ。
 
 それが生きる支えとなり、いつも笑顔で生きてきました。

 平和な時代に生きるいまの人たちには、
 子どもをいっぱいいっぱい愛してやってほしいと思います。
 親に心底愛された子どもは、
 苦境に遭っても絶対に乗り越えていけます。
 
 そしてもう二度と戦争によって
 私のような悲しい思いを、
 地球上のすべての子どもたちにさせられません。
 
 それが戦後六十年の節目に願うことであり、
 私のすべての活動の原動力になっています。(談)

■2011年04月19日(火)16:07  できないからできる
        松下幸之助氏直伝
       「できないからできる」
       
       
        大西宏(パナソニック客員)
        
        
       『致知』2011年5月号
         対談「松下幸之助に学んだこと」より
        http://www.chichi.co.jp/monthly/201105_pickup.html#pick4

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 幸之助さんの生き方や考え方に、
 私は自分の親以上に影響を受けました。
 
 なかでも私の人生のバックボーンになっているものを
 いくつかご紹介しますと、一つは、
 
 
「自力が十で他力が九十」


 という考え方です。
 
 一見消極的なようですが、
 十という自力を精いっぱい出してどうにもならなくても、
 あと九十の力が残っていると。
 他人様の力、天の力、縁の力といったものがね。
 
 その九十は他力に違いないけれども、
 自分の頑張り次第で引き寄せることも可能です。
 そう考えれば自分の力は十倍にもなる。
 
 引き寄せたところでそれはやはり他力なのだから、
 感謝の心を持つほかありません。
 
 私は若い頃にこの言葉に出合って、随分助けられました。


 それから、


「できないからできる」


 という言葉です。

 私が音響事業部に所属していた時に、
 八千円くらいで販売していたトランジスタラジオが
 五万台くらい売れていたんですけれども、
 幸之助さんが
 
 
 「もう少し売れるはずだ。半額にできないか」
 
 
 とおっしゃったんです。
 
 最初、それは無理だと誰も本気にしなかったんですが、
 しばらくして「もうできたか」と。
 幸之助さんは本気だということで、
 現場もようやく真剣に取り組み始めたんです。

 その時は幸之助さんを交えて
 そのトランジスタラジオをバラバラに分解し、
 一つひとつの部品を設計からやり直した結果、
 本当に半額になって、そのトランジスタラジオは
 二百万台も売れたのです。


 その時、バラバラにしたものを一人ひとりが知恵を出し、
 それからみんなの知恵を集める。
 本まで遡り、衆知を集めたら知恵というのは
 無限だということを繰り返し言い聞かされましてね。
 
 できないからできるというのは、以来私の信念になりました。
 
 また、


「矛盾することを同時に成し遂げなければ、
 大きな成功はない」


 という言葉にも影響を受けました。

 例えば、製品のコストを下げようとすると
 品質も下がるということがありますね。
 
 そういう時には中途半端ではなく、
 品質の向上とコストダウンの両極を徹底追求する。
 すると想定外のいい知恵が生まれるというのです。

 九州の販売会社の責任者の時に、
 コスト削減のために複数の拠点を一つにまとめたんです。
 
 するとどうしてもお得意先との距離が遠くなって不便になり、
 売り上げが減りそうになりました。
 
 そこで私はこの教えを思い起こし、
 一つになった拠点の品揃えを圧倒的に増やし、
 配送の回数を増やしました。
 
 さらに余った人員を市場開発チームに充てて
 顧客開拓に一層力を入れ、業績向上を実現しました。
 そうした体験からも、矛盾する両極を
 中途半端でなくとことん追求していく先に、
 まったく新しい世界が開けてくることを実感しました。

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