2012年06月14日(木)08:30 
          「わが人生の師」


              童門冬二(作家)

                 『致知』2012年7月号
                 連載「20代をどう生きるか」より

◇─────────────────────────────────◇


目黒区役所には13年奉職したが、
そのうちの11年は税務課での仕事であった。

私が徴収を担当していた住民税は、
誰にでも一律の額が課税される均等割と、
所得に比例して税が加算される所得割の2つから構成され、
滞納者のほとんどは均等割しか課せられていない低所得の人たちだった。

そういう家を訪ねていくと、
ギャーギャー泣いている赤ん坊を
何人も抱えている母親や働きたくても
仕事がない人たちばかり。

あまりに困窮した暮らしぶりに
税金を立て替えたこともあった。

納税義務者の生活実態を目の当たりにして、
そういう人たちの血の涙のおかげで、
たとえ安くても給料をもらっているんだなと思い、
決して生半可な生き方をしてはいけないと
心に誓ったことをいまでも覚えている。

ただ、当時は、食料や衣服などがもの凄く不足していたため、
私は夏になると、ランニングシャツにズボン、
下駄という格好で仕事をしていた。

それを見ていた区議会議員が、ある時の区議会で、


「公務員は主人である区民に対して
礼儀を尽くさなければならない。
しかるに税務課のあの若い職員の服装は何事か」


と、糾弾してきたのだ。
これに対して、答弁に立ったのが
私の第2の師である君塚助役である。


「先生のおっしゃることは一言の弁明もできません。
 ただ、先生はその職員が月いくらもらっているかご存じですか。
 我われでさえ、頭を下げざるを得ないほど薄給でございます。

 もしも先生が、本当に住民のための
 公務員のあるべき姿をお考えでしたら、
 せめて若い職員がワイシャツ1枚、
 ネクタイ1本買えるほどベースアップしてやってくれと、
 こうおっしゃったらその職員も
 如何ばかり喜んだことでございましょう」


私は傍聴席で聞いていて、感動のあまり涙が止まらなかった。

2012年06月13日(水)09:11 
◆致知出版社の「人間力メルマガ」-----2012年6月9日 ◆



┌───偉人に学ぶ────────────────────────┐


  柴五郎(しば・ごろう)という人物をご存じだろうか。
  日露戦争において日本が歴史的勝利を収めるきっかけをつくり、
  当時、欧米列強の間でその名は鳴り響いていた。


        山下康博(中経出版専任講師)

                『致知』2012年7月号
                  特集「将の資格」より

└─────────────────────────────────┘


山下康博氏にご紹介いただいた柴五郎は、
1900年に清国で起こった義和団の乱で、
現地に駐留していた各国高官や避難民を、
見事なリーダーシップで守り抜き各国から絶賛。
後に陸軍大将にまで上り詰めた人物です。

義和団の乱での功績がもとで日英同盟が結ばれ、
それが日露戦争の勝利に結びついたといいます。

日露戦争の勝利で列強による植民地支配を免れた
歴史的価値を考えれば、
柴五郎の功績は計り知れません。

わずかな手勢、しかも足並みの揃わない各国の兵を、
有事に際して見事に統率した柴五郎の人間力の源には、
幼少期に受けた会津藩の教育があると
山下氏は説いています。

会津の藩校・日新館では、
「什(じゅう)の掟」という教えが実施されていました。

1,年長者の言うことにそむいてはなりませぬ
1,年長者にはおじぎをせねばなりませぬ
1,うそをついてはなりませぬ
1,ひきょうなふるまいをしてはなりませぬ
1,弱いものをいじめてはなりませぬ
1,戸外でものを食べてはなりませぬ
1,戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです。

最後の項目以外は、
いまの社会にも通用する普遍的な人間のあり方といえます。

そして教えの最後には、
「ならぬことはならぬものです」
との一文が添えられています。
人心の乱れが著しい昨今ですが、
幼い頃からこうした人間としての基本を、
理屈抜きで浸透させることの大切さを、
実感させられます。

2012年06月10日(日)13:07 
◆致知出版社の「人間力メルマガ」-----2012年6月10日 ◆



┌───今月の『致知』ハイライト──────────────────┐


     センバツ甲子園決勝前日秘話


        西谷浩一(大阪桐蔭高校硬式野球部監督)

                『致知』2012年7月号
                  特集「将の資格」より

└─────────────────────────────────┘


私がここ最近変わったなと思うのは、
メンバーから外れた子たちが
非常によくやってくれるチームになった、ということですね。

10年ほど前までは夏のメンバー発表が終われば、
そこから外れた子は寮を出るのが決まりだったんです。
メンバーから外れて気持ちも少し切れているだろうから
彼らは家から通わせるようにしようと。

ところが、私が監督になって3年目の時、
皆が寝静まってからキャプテンが相談に来たんです。

「メンバー発表が終わっても、
3年生全員を寮に残してほしい」と。


私は内心凄く嬉しかったんですが、理由を尋ねると


「監督はいつも、1つのボールに皆が同じ思いになれ、
“一球同心”と言われているのに、
 メンバー外の三年生が寮を出たらお互いに溝ができてしまう。
 一球同心が本物にならないと思います」


と言ってくれたんですね。


夏のメンバー発表をする時には、
背番号をつけてやれなかった子たちが
ベンチ裏でワンワン泣いているんです。

でも次の日には彼らのほうから
「チームのために何かやらせてほしい」と
自ら言ってきてくれるようになった。

そして打撃投手をしてくれたりするんですが、
私が一番してもらいたいのが相手チームの偵察なんですね。

1、2年生より3年生のほうが野球をよく知っているから、
絶対にいい分析ができる。
ただメンバーから外れた3年生に
それを頼むのは非常に酷なことなんです。


その彼らが「偵察にも行きます」と
自分から言ってくれるようになり、
そこから何かが変わってきた。

3年生の外れた仲間たちが撮りに行ったとなると、
メンバーもいい加減には見られなくなる。
そうしたことで合宿所自体の雰囲気が変わってきました。

今回の甲子園では、決勝戦が1日雨で流れたんです。
メンバーはその日、室内練習場で練習をしますが、
宿舎に残っている3年生は部屋で寛いでいてもいい。

ところがその彼らが、決勝で当たる光星学院の
一回戦から準決勝までのビデオ4本を全部見直して、
一からデータを取ってくれたんですね。

はい。初めに、負傷した四番の子の話をしましたが、
その代わりに入った子が実は全然打てていなかったんです。
でも分析の結果、ワンストライクツーボールという
カウントになると、8割以上の確率でスライダーを
投げてくるというデータが取れていた。

そして翌日、1イニング目に彼の打席で
そのケースが訪れたんですよね。

私は頭にデータがあったので、
スライダーのサインを出した。

そうしたら彼も「分かってるぞ」という顔をしたんです(笑)。
私もスライダー来い、スライダー来い、と念じていたんですが、
やってきた球が本当にスライダーで、
それを打ったらホームランで……。

だからあれは本当にメンバー以外の子たちが
打たせてくれたホームランで、
スタンドにいる子たちも凄く喜んでいた。

たぶん彼らもスライダー来い、スライダー来い、
と思っていたんでしょうね。

だから試合に出ていない子の力がいかに大切か、
その子たちの力が関わってきた時に、
チームは本当の力を発揮するんだなと改めて感じましたね。

■2012年06月02日(土)09:16  改めてナルホド
  「支払い日、人生で一番楽しい日」


    五十嵐勝昭 (五十嵐商会社長)

               『致知』1999年2月号「致知随想」
               ※肩書きは『致知』掲載当時のものです


────────────────────────────────────

サラリーマンを辞めて包装資材販売の会社を興したのは
30歳のときでした。
以来20有余年、一度も赤字決算になったことがありません。

と言って、資金があったわけではありません。
多くの企業のケースがそうであるように、
私も無一文からのスタートでした。

金融機関から借りようにも、当然ながら振り向いてくれません。
取引先も現金払いでなければ品物を渡してくれません。
父にも少し融通してくれ、保証人になってくれと頼みましたが、
自分のことは自分でやれ、です。


しかし、この状況は商売の原点を踏まえていく上で、
恵まれていたと言えるのかもしれません。
お金があれば、事務所を借りて、事務機器を入れて、
電話番を雇って、ということになったでしょう。

だが、そのお金がないのだから、
ないなりにやっていくしかありません。

事務所は住まいでもある自分のアパート一室、
人を雇う余力はないから妻と二人きり、
後は体を動かすだけ、ということになります。

生家は豆腐屋でした。
両親は朝早く起きて豆腐作りにかかり、店を開きます。
1年365日、倦まずたゆまず、
それを繰り返してきました。

両親のそういう生き方は、無意識のうちに
私の体にしみ込んでいたようです。
つまり、体を動かしていれば、
商売は何とかなるということです。

体を動かす。
会社としてサマになったいまになって振り返っても、
これこそが商売の原点であると思わずにはいられません。

だから、当初は包装資材の販売だけでなく、
何でもやりました。

たとえば、ビニール袋を納めている先に
セメント会社がありました。
そこではコンクリート・ミキサー車を
乗り入れられないような現場へは、
セメントをビニール袋に小分けして運び込んでいました。

ところが、セメント入りのビニール袋は重いし、
粉で体は汚れるし、おまけに朝は早いしで、
運送会社はこの仕事を歓迎しません。

それを知って、私は自分にやらせてくれと申し出ました。
もちろん向こうも大喜び。

それからは、セメント入りのビニール袋を私のボロ車で
現場に運び込むのが、朝のひと仕事になりました。

それを済ませてから自分の会社の仕事にかかるというわけです。

それでビニール袋の一定量の納入先は確保できるし、
おまけに現金収入になって運転資金を助けることになります。

この仕事は5年間続けました。

体を動かして働く。それはだれの目にもわかることです。
このことが、あいつは一所懸命だという評価になって、
信用を築く一助になったのではないかと思っています。


そのほかにもう一つ、意識して心がけたことがあります。
そしてそれが、これまで赤字を出さずにやってこられた
ポイントではないかと考えています。


それは、支払いは楽しくするということです。



何を馬鹿な、と言われるかもしれません。
いつも楽しく支払いができるようだったら世話はない。
資金繰りに詰まってお金がなく、
支払いができないような状況がしばしばある。

楽しく、などと言っていられない場合が起こる。
それが商売というものではないか、
という声が聞こえてきそうです。

確かにそうかもしれません。

しかし、本当でしょうか。

会社を興すとき、私は加わっている
倫理法人会の人に助言を求めました。


「約束を守りなさいよ。
 その中でも特に支払いの約束を命がけで守りなさい」


言われたのは、これだけでした。
しかし、これこそが商売の根幹と、深く胸に刻みつけました。

私はサラリーマンとして信用金庫に勤めていました。
内勤も外勤も経験して、商売を営んでいる多くの人を見てきました。

そして、支払いを渋ったり先延ばしする傾向が強いところは、
やがて経営に破綻をきたすことが多いことも知りました。

商売を営むからには支払いは必須のものです。
そして、支払いを受ける側にとっては、
それが大きな楽しみであり、喜びです。

それなら支払いの期限は絶対に守って、
楽しく支払うようにしよう。
私はそれを強く心に誓ったのでした。

これを実践して、いろいろとわかったことがあります。
支払いを渋る。先延ばしする。
あるいは支払うにしても仏頂面になる。

これは全部、自分に対する甘えと妥協するところから
くると思うのです。


「何日後にお金が入る。そしたら必ず支払うから」


これは支払いを先延ばしするときによく聞かれるせりふです。
だが、その人にはお金が入る何日後まで
食べていくお金があるわけです。

それなら、どうしてそのお金を支払わないのでしょうか。
絶食しても支払う。やろうと思えばできるのです。
それをしないのは、自分に対する甘えと妥協してしまうからに
ほかなりません。

支払いはきちんと楽しく。

これをやっていると、多くの利点がもたらされます。
支払い期限を守るために勢い計画的になります。
お金のありがたみがわかってお金に感謝するようになり、
1円10円といったこまかいお金も大切にするようになります。

ニコニコ顔で支払いをすると、
取引相手に感謝の気持ちがわいてきます。

そして何よりのご褒美は、
あそこの支払いはきちんとしているという
絶大なる信用を得ることができます。

商売の根本はズバリ信用です。
信用があると商売上いい話がたくさん舞い込んできます。
この信用がいざというときの助けになるのです。

私は会社に


「支払い日、人生で一番楽しい日」


と書いて掲げています。

どうしてもこれだけは守るのだという決意を
確かにするためです。

最初はお金がなくて大変でしたが、年月が経ち、
いま仕事が順調にいくのは仕入れ先の皆様のおかげです。

そう思うと、支払い日は感謝の日です。
文字通り喜んで払うことができます。
不思議なことです。

喜んで払うと決心して、実行し続けたらお金に好かれ、
お金の巡りがものすごく良くなるのです。


楽しく支払う。これを守っている限り、
どんな不況も怖くない。
これは私の確信です。

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