2012年07月21日(土)12:47 
┌───自分でできる健康法─────────────────────┐


     「暑さに負けない食事のすすめ」


        白鳥早奈英(栄養学博士)

                『致知』2012年8月号
                 連載「大自然と体心」より

└─────────────────────────────────┘


「にがうり」(ゴーヤ)は、これからの暑さの厳しい季節に
積極的に摂っていただきたいビタミン食です。

沖縄では古くから食卓の定番として庶民に親しまれてきましたが、
近年にがうりに含まれる独特の苦みと
他の食材には含まれない栄養素が注目され、
いまでは全国で手軽に食べられるようになりました。

また最近では、にがうりの蔓や葉で窓を覆い、
日差しを遮る「緑のカーテン」としても効果を発揮し、
街でも見かけるようになりました。

高温、乾燥に強いにがうりは、
ガーデニング初心者にも育てやすく、
どんどん実が成るので、食にも涼をとるにも一石二鳥。
まさにエコな野菜と言えるでしょう。

ツルレイシとも呼ばれるにがうりは、
ウリ科に属する一年生の蔓草で、
表面にイボ状の突起があり、独特の苦味があるのが特徴です。

盛夏を迎える頃に実をつけ、1〜2週間程度経った
未熟な緑色の状態で収穫します。

主に沖縄、宮崎、鹿児島で生産され、
6月から9月頃が最盛期にあたります。
沖縄では1年中栽培されており、
最近では全国でも年中手に入れられるようになりました。

にがうりの一番の特長は、疲労回復に最適な
ビタミンCが豊富に含まれていることです。

100グラム中に含まれるビタミンCは、
いちご62mg、キウイフルーツ69mgに対し
ピーマンと同程度の76mgで、
これはいちごよりも多く、キャベツの約3倍に相当します。

にがうりのビタミンCは加熱しても壊れにくく、
短時間、強火での加熱であれば損われることはありません。

ビタミンCは肌のハリを保つコラーゲンがつくられる時に使われ、
メラニン色素をつくるのを防ぐ効果もありますので、
日焼け予防、美肌効果も期待できます。

2012年07月19日(木)09:18 
息子の高校の教科書に
リーダーに必要な資質として、


「知力」
「説得力」
「肉体的耐久力」
「持続する意志」
「自己制御」

と載っていましたが、まさにカエサルは
この五つの資質を備えていた人物でした。


おもしろいのが、日本人はよくリーダーの条件というと
決断力や実行力を挙げますが、
そういうのは一つも入っていない。


この五つの条件を備えていたら、
そんなことは当たり前なんだと思いました。


決断とは、いろいろと考えを巡らせて
決めることだから知力がなければできないことですし、
決断しても実行しなければお話にならない。


ここで言う知力とは、
インテリジェンスなんですよね。


だから本の中でも「知識」とはとても訳せなかった。
確かハードカバーでは
「知性」と訳しているのではないかと思いますが、
文庫では「知力」と訳し直したりしました。


つまり、もろもろのことに考えを巡らせる能力ですよね。
だから知識ではない。


私が一番好きなカエサルの言葉に


「多くの人は見たいと欲するものしか見ない」


というのがあります。


もう、私はこの一言だけでも
カエサルに惚れてしまいますね(笑)。


リーダーと一兵卒では見るものが違うかと言ったら、
本当は同じです。
だけど一兵卒はその重要性に気づかない。


いや、気づきたくないわけね。
例えば敵が来るなんて思いたくないから
敵を見ないんです。


そこが、リーダーとリーダーでない人の間に存在する、
厳とした差ではないかと思います。


カエサルは見たくない現実も
見ることができた人でした。


あの時代のローマに何が必要で、
何が不必要であるかを
明快に見定めた人物だったと思います。

2012年07月09日(月)08:23 
┌───『致知』で出逢ったいい話─────────────────┐


     ハンディのある子供たちと生きて


        堀江悦子(からたち作業所代表)

                『致知』2012年7月号
                  連載「致知随想」より

└─────────────────────────────────┘


長男の様子がどこかおかしいことに気づいたのは、
生後半年ほど経った時でした。
昼も夜もほとんど泣き叫んでばかりで、
おむつを替えても、おっぱいをあげても
泣きやむ気配はありません。

九か月目、気がつくと瞳に白い点ができ、
その面積は次第に広がって一歳を過ぎた頃、
ついに視力を失ってしまったのです。

「この子は生涯盲目の世界で生きることになります」

医師にそう告げられた時の衝撃、
頭の中が真っ白になる感覚は、
四十年以上経ったいまもありありと甦ってきます。

失明し自分のリズムが掴めない長男は、
やがて夜は眠らずに朝方から眠るという
昼夜逆転に陥りました。

茶の農家に嫁いだ私は昼間は家事や農作業に励み、
夜は家人に迷惑にならないよう、
泣き叫ぶ我が子をあやしながら
街灯一つない山道を歩くという毎日。

精神的にも肉体的にもヘトヘトに疲れ切っていました。


その頃、私はお腹に新しい命を宿していました。
二男は未熟児で生まれたものの、
心配していた病気の発症もなく順調に成育していきました。

私たち夫婦は二男が成長した時、
一人で長男の面倒を見るのは大変だという思いから、
もう一人産もうと話し合いました。

ところが、授かった三男もまた生後間もなく
目が見えていないことが分かったのです。

電光が目の奥まで届いているような
透き通った瞳に気づいた時は、
動くことすらできず、全身の力が抜けていきました。

三男はかろうじて片方の目が弱視にまで回復しましたが、
長男は全盲と自閉症の重複障碍と診断され、
成長するにつれて大声を上げ暴れ回るようになりました。

ふすまやガラスは破れ、障子はぐちゃぐちゃ。
二人の障碍児を抱えて私たちは生きていくだけで
精いっぱいでした。

何度本気で一家心中を考えたことでしょう。

「お母さんとお父さんが変。助けて」
という二男の訴えで駆けつけた義母に諭され、
ハッと我に返る、といったこともありました。

そういう私が、使われなくなった盲学校寄宿舎を借りて
「からたち共同作業所」(福岡県柳川市)という
重度障碍者のための作業所を立ち上げたのは平成二年。

盲学校を卒業した長男の社会参加を考えたのが発端ですが、
同じような境遇の方々が集まり五人の障碍児を
受け入れるところから活動はスタートしました。

ドサッと山のように業者から届けられる
ビニール製のポット苗容器を整える単純な仕事でも、
それが息子たちの生き甲斐になるのかと思うと、
それだけで感無量でした。

もちろん、それからも厳しい道のりは続きました。
最初の職員さんに僅か二十日で辞められた時は、
五人の障碍児と一日中向き合う大変さを思い知らされました。

私の負担が一気に増え、どうしてよいか分からず
声を上げて泣いたものです。

しかし、もう後には戻れません。
死ぬ思いでやればなんでもできると
自分に言い聞かせては心を切り替え、
前に進んでいきました。

この二十余年を振り返ると、
まさに山また山の毎日でしたが、最近ふと


「一主婦だった私が健常な家族に恵まれていたら、
 ここまで数多くの人と出会い、支えられ、
 絆の大切さを感じる人生を送れただろうか。
 出会いは私の財産だな」


と思うことがあります。

試練の時は辛くても、それを乗り越えた時に、
何倍もの喜びがやってきます。
その最も大きなものは子供たちの成長を肌で感じ取る時です。

作業所を開いた当初、私は我が子以外の
四人の子供たちの心が掴めず、
どのように接してよいか分かりませんでした。

その中にM君という二十歳前の水頭症の子がいました。
脳内に髄液がたまる病気で、動くことも
言葉を満足に発することもできません。

ご家族や養護学校時代の先生方は
「M君は病気で意思表示ができないから」と
はっきりおっしゃっていました。

M君が作業所に来ると、いつも童謡が吹き込まれた
カセットテープを握らせていましたが、
ある日、テンポのよい演歌を流したところ、
握っていたテープを放り投げて体を揺すり始めたのです。


「あっ、M君は意思表示ができる」


直感的にそう確信しました。

私はM君は意思表示ができるという前提で
動きを観察していきました。

すると何気ない動作で自分がしてほしいこと、
嫌なことをはっきり示していると分かったのです。

他の子供たちにも同じ視点で向き合ってみました。

物を投げつける行為も殴りかかろうとする行為も、
それは怒りの感情ではなく意思表示の手段だと気づいた時は
「思いを伝えてくれてありがとう」という感謝の気持ちが
心の底から湧き上がるのを抑えられませんでした。

我われスタッフがそれに気づくことで、
子供たちは不思議なほど落ち着きを取り戻し、
重い知的障碍の子が盲目の子の茶碗を運んであげるなど、
いろいろな変化を遂げていったのです。

ハンディこそあれ、一人ひとり素晴らしい宝を持った仲間ばかり。
そういう子たちと巡り会えたことをいまでは本当に幸せに思います。

2012年07月05日(木)08:43 
┌───きょうの名言────────────────────────┐


    人生に人生の意味を問うのではなく、
    人生のほうが俺たちに生きる意味を問うているんだ。
    生きるとは、その理由を見つける責任がある。
    

               アーサー・ホーランド(牧師)

                『致知』2012年8月号
                 特集「知命と立命」より


└─────────────────────────────────┘


青春時代は喧嘩と柔道に明け暮れて、宗教嫌いを公言する。
人呼んで「不良牧師」ことアーサー・ホーランド氏。

暴力、虐待、ドラッグ、引きこもりなど、
多くの人々の人生の闇を受け止め、神の光を与えてきた。


「なぜ俺が宗教が嫌いなのか。

 ユダヤ教徒たちは救いの主メシアを求めながら、
 目の前にメシアが来たのに、
 悪魔呼ばわりして十字架に磔(はりつけ)にし、
 イエスを殺してしまった。

 結局、神は宗教に殺されたといえる。

 人間はある境地を究めようとする時、
 皆人智を超えた大いなる存在(=神)を感じるようだ。
 
 芸術家も、研究者も、経営者も、大きな仕事を成し遂げた時、
 “自分ではない大きな力を感じた”と言う。
 
 俺が牧師として伝えたいのはそういうこと。
 信じているものが自分を魅力的にし、
 周囲を幸せにしていくものであればOKだけれども、
 逆に可能性を閉ざし、
 周囲に押し付けていくのは神の意思ではないと思うのだ」


 神との邂逅を得て、神とともに人生を歩んできた
 アーサー氏はこう語ります。
 
「人は皆、偶然に生きているのではなく、
 生かされる理由があると思う。
 しかし、その理由は誰かが与えてくれるものではない。

 人生に人生の意味を問うのではなく、
 人生のほうが俺たちに生きる意味を問うているんだ。
 生きるとは、その理由を見つける責任がある」

 
 やりたいことが見つからない……。

 そう言って自分探しをする若者が増えているといいますが、
 生きる意味は漠然と人生を歩んでいるうちに
 天から与えられるものではない。
 むしろ、私たち一人ひとりが
 知命と立命とによってどんな人生を送るのか
 天のほうが見守っていることを教えられた一言でした。

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