2013年04月28日(日)14:36
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ヘレン・ケラーが
「私より不幸な人、そして偉大な人」
と讃えた気高き女性の生涯を、感動の朗読CDで。
新発売【朗読CD】「中村久子先生の一生」 http://www.chichi.co.jp/book/7_news/post_70.html
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その少女の足に突然の激痛が走ったのは3歳の冬である。 病院での診断は突発性脱疽。肉が焼け骨が腐る難病で、 切断しないと命が危ないという。
診断通りだった。 それから間もなく、少女の左手が5本の指をつけたまま、 手首からボロっともげ落ちた。
悲嘆の底で両親は手術を決意する。 少女は両腕を肘の関節から、両足を膝の関節から切り落とされた。 少女は達磨娘と言われるようになった。
少女7歳の時に父が死亡。
そして9歳になった頃、 それまで少女を舐めるように可愛がっていた母が一変する。 猛烈な訓練を始めるのだ。
手足のない少女に着物を与え、
「ほどいてみよ」
「鋏の使い方を考えよ」
「針に糸を通してみよ」。
できないとご飯を食べさせてもらえない。
少女は必死だった。 小刀を口にくわえて鉛筆を削る。 口で字を書く。 歯と唇を動かし肘から先がない腕に挟んだ針に糸を通す。 その糸を舌でクルッと回し玉結びにする。
文字通りの血が滲む努力。 それができるようになったのは12歳の終わり頃だった。
ある時、近所の幼友達に人形の着物を縫ってやった。 その着物は唾でベトベトだった。
それでも幼友達は大喜びだったが、 その母親は「汚い」と川に放り捨てた。
それを聞いた少女は、 「いつかは濡れていない着物を縫ってみせる」と奮い立った。 少女が濡れていない単衣一枚を仕立て上げたのは、15歳の時だった。
この一念が、その後の少女の人生を拓く基になったのである。
その人の名は中村久子。 後年、彼女はこう述べている。
「両手両足を切り落とされたこの体こそが、 人間としてどう生きるかを教えてくれた 最高最大の先生であった」
そしてこう断言する。
「人生に絶望なし。いかなる人生にも決して絶望はない」
(※月刊『致知』2012年11月号総リードより)
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かつて来日したヘレン・ケラーが 「私より不幸な人、そして偉大な人」 と讃えた気高き女性・中村久子氏。
両腕両脚を失いながらも強く生きた女性の生涯を描いた ベストセラー書籍「中村久子先生の一生」が、 このたび朗読CDとして、新発売になりました。 プロのアナウンサーによる感動的な朗読です。
下記サイトより、視聴もしていただけますので、 ぜひお聴きのうえ、お求めください。
中村氏の壮烈な生き方から、 生きるための大きなエネルギーを得ていただけるはずです。 | | |