2013年07月28日(日)14:16 
     「大哲学者カント誕生秘話」



          『致知』2008年1月号
           特集「健体康心」総リードより


└─────────────────────────────────┘


ドイツの哲学者カントは、
馬の蹄鉄(ていてつ)屋の子に生まれた。
生まれつきのくる病であった。

背中に瘤があり、乳と乳の間は僅か二インチ半、
脈拍は絶えず百二十〜百三十、喘息で、
いつも苦しげに喘いでいた。

ある時、町に巡回医師がやってきた。
少しでも苦しみを和らげられたら、と
父はカントを連れて診せに行った。

診てもらってもどうにもならないことは、
カント自身も分かっていた。

そんなカントの顔を見ながら、医師は言った。
その言葉がカントを大哲学者にするきっかけとなったのである。


「気の毒だな、あなたは。
しかし、気の毒だと思うのは、
 体を見ただけのことだよ。

 考えてごらん。
 体はなるほど気の毒だ。
 それは見れば分かる。

 だがあなたは、心はどうでもないだろう。
 心までもせむしで息が苦しいなら別だが、
 あなたの心はどうでもないだろう。

 苦しい辛いと言ったところで、
 この苦しい辛いが治るものじゃない。

 あなたが苦しい辛いと言えば、
 おっかさんだっておとっつぁんだって
 やはり苦しい、辛いわね。

 言っても言わなくても、何にもならない。
 言えば言うほど、みんなが余計苦しくなるだろ。

 苦しい辛いと言うその口で、
 心の丈夫なことを喜びと感謝に考えればいい。

 体はともかく、丈夫な心のお陰で
 あなたは死なずに生きているじゃないか。

 死なずに生きているのは丈夫な心のお陰なんだから、
 それを喜びと感謝に変えていったらどうだね。

 そうしてごらん。
 私の言ったことが分かったろ。
 それが分からなければ、あなたの不幸だ。

 これだけがあなたを診察した私の、
 あなたに与える診断の言葉だ。

 分かったかい。

 薬は要りません。

 お帰り」


 カントは医師に言われた言葉を考えた。


「心は患っていない、それを喜びと感謝に変えろ、
 とあの医師は言ったが、俺はいままで、
 喜んだことも感謝したことも一遍もない。

 それを言えというんだから、言ってみよう。
 そして、心と体とどっちが本当の自分なのかを
 考えてみよう。

 それが分かっただけでも、
 世の中のために少しはいいことになりはしないか」



大哲学者の誕生秘話である


 (宇野千代著『天風先生座談』より)。



健康とは、健体(すこやかな体)と
康心(やすらかな心)のことである。

体を健やかに保つこと。
それは天地から体を与えられた人間の務めである。

そしてそれ以上に大事なのが、心を康らかに保つことだ。
体が丈夫でも心が康らかでなかったら、健康とはいえない。

いや、たとえ体が病弱でも心が康らかなら、
生命は健やかである。

これは人間個々から小さな組織、国家まで、
あらゆる生命体にいえることであろう。

カントの逸話は私たちにそのことを教えている。

2013年07月23日(火)10:20 
◆致知出版社の「人間力メルマガ」-----2013年7月22日 ◆


   「たのしみは」に始まる五十二首の短歌を収めた
   『独楽吟(どくらくぎん)』。
 
    貧しさや我が子との死別など、悲哀に満ちた人生からも
    喜びを見出した江戸末期の歌人・
    橘曙覧(たちばなのあけみ)の作品は、
    日本人はもとより海外からも共感を集めています。

    現在発行中の『致知』8月号にて、
   『独楽吟』に詳しい武田鏡村氏に、
    その稀有なる作品を通じて、生を楽しみ、
    その寿を保つ心得をお話しいただきました。



┌───今日の注目記事───────────────────────┐



    「クリントン大統領が取り上げた一首」


           武田鏡村(作家)
 
               
              『致知』2013年8月号
               特集「その生を楽しみ その寿を保つ」より
          http://www.chichi.co.jp/monthly/201308_pickup.html


└─────────────────────────────────┘


「たのしみは 艸(くさ)のいほりの
 筵(むしろ)敷き 
 ひとりこころを 静めをるとき」


(私の楽しみは、世間の喧噪から離れ
 粗末な草葺きの我が家に筵を敷き、
 一人静かに自分を見つめる時である)


この歌は、江戸末期の歌人・橘曙覧の短歌集
『独楽吟』の一首です。

『独楽吟』には五十二の歌が収められていますが、
いずれもこの歌同様に「たのしみは」で始まり、
日常の些細な出来事の中に見出した楽しみが
巧みに表現されています。

人はレジャーやショッピングなど、
外の世界に楽しみを求めますが、
そうした欲求はどこまでいっても満たされることはなく、
そのことによって逆に苦しみを得ます。

人生の楽と苦は一枚の葉っぱの表と裏のようであり、
むしろ苦しみのほうが多いことを
痛感する方も多いのではないでしょうか。

橘曙覧はこの真実の中で、
苦楽の波間に高ぶる心を、
自分で見つめて静めるところに本当の楽しみを求めました。

狭い家の中でも僅かなスペースを見出して、
そこに座って静かに自分を見つめる。
そのゆとりの中から誰にも邪魔されない
楽しみの空間が広がっていく。

字面こそ平易ですが、自分の心に感応させて読むと、
実に奥深いものがあります。

恥ずかしながら、私はこの秀逸な短歌集の存在を
二十年前まで認識しておらず、
アメリカ人を通じて初めて教えられたのでした。

平成六年、天皇皇后両陛下を国賓として迎えた
クリントン大統領が、ホワイトハウスの歓迎式典のスピーチで
取り上げたのが『独楽吟』の一首だったのです。


「たのしみは 朝おきいでて
 昨日まで
 無かりし花の 咲ける見る時」


(私の楽しみは、朝起きた時に昨日までは
 見ることがなかった花が咲いているのを見る時である)


クリントン大統領はこの歌を通して、
日本人の心の豊かさを賞賛しました。
恐らく専門家の意見をもとに盛り込んだのでしょうが、
その判断は見事なもので、
私たち日本人が自らの感性の素晴らしさを再認識し、
知る人ぞ知るこの名作が平成の世に
再びスポットライトを浴びる契機となったのです。


「たのしみは」で始まる『独楽吟』は、
日常のありふれた出来事を「楽しい」と受けとめること。

そうした感性を育むことで、日頃見失っている尊いものを
受けとめられることに気づかせてくれます。

どんな苦境にあっても、楽しみを求める感性があれば、
人生はまさに「楽しみ」に満ちていることを発見できるのです。

私も早速その作品に触れ、たちまち虜になったのでした。




※『独楽吟』はなぜ人々の心を打つのか?
 詳しくは、『致知』8月号(P56〜59)をご覧ください。



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◇ 読者の声 〜わたしの『致知』活用法〜
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『致知』の登場人物は歴史的人物もあるが、
世に有名でなくてもその道で
猛烈に頑張って輝いている方の姿を、
自分に置き換えながら
何が生活の中で活かせるか考えています。

生活の道標。

■2013年07月14日(日)16:29  笑おう
     「笑う者の運命は光のごとく輝く」


        宅間正恭(タクマ工務店社長)

              『致知』2010年5月号
               致知随想より


└─────────────────────────────────┘

 
岐阜県大垣市で工務店を経営する私の元には、
毎月50名を超える人たちが全国から訪れてくる。
事務所の上のフロアで行われる先祖供養祭と、
締め括りに行う「笑いの練習」に参加するためである。

たとえ四面楚歌の状態でも、
笑える人は必ず逆境を乗り越えることができる。
これは66年の人生を生きてきた私の実感である。

笑うことの大切さを私に教えてくださったのは、
生長の家創始者の谷口雅春先生だった。


私が中学3年になったある日、
父がこれを読め、と渡してくれたのが、
先生のご著書『生命の實相』で、
その中の一節に私は強く胸を打たれた。



「笑う者の運命は光のごとく輝き、
 しかめ面する者の運命は闇の底に沈衰する。

 諸君はそのいずれを選ぼうとも
 自己の好みに委された
 まったくの自由を許されているのである。




 光となって輝きたい者は笑うがよい、





 闇の底に沈衰したい者は眉をしかめるがよい」



 
 
私は一人でも多くの人にこの教えを伝えたいと思い、
高校時代は、生長の家の青年会活動に
積極的に参加するようになった。

先生のお話は非常にユニークで、
何事も心の持ち方が大切だ、と常々おっしゃっていた。


例えば、登山の話をされる時はこんな調子である。



「皆さんは山を登ると思うから
 エラい(しんどい)んや。

 私は山がくだる、山がくだる、と思うから
 ちっとも疲れない」


高校卒業後、名古屋の建設会社に就職した私に
独立の決意を与えてくださったのも、
やはり谷口先生だった。


ある講習会で、先生は当時の日本の漁業に
深刻な影響を与えた200カイリ問題に触れられ、


「遠くの海まで行かなくとも、
“心”で魚たちを呼んで、
 日本の領海に来てもらえばいい」
 
 
と言われた。


同様に、仕事がしたい、
人のお役に立ちたいという気持ちがあれば、
必ずよい仕事が入ってくる。

私はそう考えて、36歳の時にタクマ工務店を設立した。

取引先との人脈もなく、
当初は仕事の注文も皆無だったものの、
「まず心に描け」という先生の言葉を思い出し、
瞑目してお客様の相談に応じている風景をイメージした。


笑う門には福来たる、といわれるように、
どんな時でもにこにこと笑顔を浮かべていると、
人は必ず声を掛けてくださるものである。

おかげさまで仕事は年々増えていき、
10年後には念願の会社組織にすることができた。

その恩返しにと、自宅の広間を「八笑道場」と名づけ、
冒頭に紹介した先祖供養祭と
笑いの練習を定期的に行うようになった。

さらに会社でも、毎日昼と夕方に
15分間ずつの唱和を行うようにした。


「繁栄だぁ、健康だぁ、千客万来大喜びだーっ」


と言って、皆でワッハッハ、ワッハッハ、と笑うのである。

そのおかげか、深刻な不況が続く建築業界にあって、
当社にはお客様から様々なご依頼をいただいている。


          * *


ところで、八笑道場には様々な悩みや苦しみを
抱えた人たちがやってくるが、
私自身もその例外ではない。


いまから7年前のことだった。


私の会社で働いていた次女が、
交通事故で非業の死を遂げたのである。

事故原因は、運転をしていた若者の
スピード違反と脇見運転によるもの。
まだ28歳の若さで、
二人の幼子を残したままという悲痛な状況だった。

私の妻や娘の主人は、半狂乱になって次女の死を悲しんだ。
しかし、ここで私までがパニック状態に陥るわけにはいかず、
傷ついた家族を何とか支えていこうと気を奮った。


そして


「肉体はなくなったけれども、魂は生き通しや。

この世を早く卒業しただけやから、悲しんだらあかん。

相手を恨んだらあかん」
 

と言って聞かせ、皆、想像以上に早く、
深い悲しみから立ち直ることができた。

谷口先生はご著書の中で




「幸福でもないのに笑えないというな。



 笑わないから幸福が来ないのである」


 
 
とも述べておられる。

これまでの人生はいいことがなかったからもうダメだ。
どんなことをしてもよくならないと
悲観している人をよく見かけるが、
人の人生は果たして
“過去”によって決まってしまうものだろうか。

どんなに苦しいことや辛いことがあっても、
自分の人生は“未来”からやってくる。

そう考えていつもにこにこと笑っていれば、
きっと運命は好転する。

すべての幸福は、
笑うことから始まるような気がしている。

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