2013年12月21日(土)16:58 
森信三先生の真骨頂ともいえる、名言・箴言の数々。
収録された114の訓言が、あなたの魂を揺さぶり、
日々を生きる力を与えてくれるはずです。


本書の中から、心に残る言葉のいくつかを
ご紹介させていただきます。


●人間の偉さは、その人の苦しみと正比例する。
 世の中は正直そのものである。

 その時代における最高の人物は、
 最大の内面的苦行をした人である。
 つまり天はその人の苦労に等しいだけの価値を与え給うのである。


●落付きを失わぬこと。ゆとりを持つこと。
 あわてぬこと。あせらぬこと。
 早口は余裕をもたぬ証拠である。


●人間は自分の目標を明確にして居らばならぬ。
 誘惑や迷いは、それに弛みができ隙を生ずるからである。


●肉体的苦悩や精神的苦痛は、
 なるべく人に知らさぬように。

 人に病苦や不幸を漏らして
 慰めてもらおうという根性は女々しいです。



その他にも……


・真の学問の道

・すべての行為は人柄の現われ

・長たる者の務め

・教育の三つの根本目標

・備品は私用に使わない

・一流者の生き方

・弟子の義務

・四十歳は人生の峠

・たしなみある人

・欲求を如何に処理するか

・教師に重要な正確な時計



……などなど、読む人の生き方、あり方を
鋭く問う内容になっております。

本書を踏まえた上で『修身教授録』を再度お読みいただくと、
その教えの真髄が一層深く理解できるはずです。


約80年の時を経て甦る、森信三師の真骨頂。


ぜひ年末にお読みいただき、新しい気持ちで
2014年を迎えていただければと願っております。



◇森信三先生について

   明治29年愛知県生まれ。大正12年京都大学哲学科に入学し、
   主任教授・西田幾多郎の教えを受ける。卒業後、同大学大学院に
   籍をおきつつ、天王寺師範学校の専攻科講師となる。

   昭和28年、神戸大学教育学部教授に就任。同35年、神戸大学退官。
   同40年、神戸海星女子学院大学教授に就任。
   同50年、「実践人の家」を設立。平成4年11月逝去。

  “国民教育の師父”と謳われ、教育界のみならず、
   SBIホールディングス社長・北尾吉孝氏や、
   経営コンサルタントの小宮一慶氏、リブセンスの村上太一氏など、
   経営者やビジネスマンなど、いまなお多くの人々を感化し続けている。
   主な著書に『修身教授録』。

2013年12月15日(日)16:03 
┌──┬──────────────────────────────
│137 │常岡流運命発展の法 運命の模様替え
└──┴──────────────────────────────
 
前回の続きです。
常岡流の運命発展の3つの法について話したいと思います。

1つは、「仕事に全力をしぼる」ということです。
しぼり切ったものが自分に返ってくる、と先生はいっています。

これは別のところでは
「己から出たものは己にかえります」(『常岡一郎一日一言』3月23日より)
とも表現しています。

だから、仕事に全力をしぼる。
その姿勢が自分に返ってくる。
仕事をいやいや、やっていると、
それが運命になって返ってくるというのです。

「財も富も地位も、
 その人が集めたものが残るのではない。
 その人が財や富や地位をつかむまでに絞った
 心の姿と努力の結果が残るのであり、
 かりに非常に悪い心と、
 人の怨みを買うようなやり方をして
 富や地位をつかむと、
 その悪い心の種と、
 悪い天の理が残り、
 悪い種の姿として思わぬ不幸が続く」
と氏はいいます。
これは本当にその通りだなあと思います。


2つは「明るく感心のけいこをする」(5月13日)
この表現も常岡先生らしいですね。

あらゆることはけいこをしないと、身につきません。
どんなことに出会っても、なるほどと感心する。
そのけいこを積んでおくことが
運命をよくしていく秘訣だと先生はいうのです。

このことに関して、先生はこんな言葉を残しています。

「なるほどと得心がゆけば、
 大切な生命も金も物も捧げる、手放す。
 これが人間の尊い一面である。
 淋しいこと、悲しいこと、苦しいことも、
 なるほどとはっきりうなずけば、
 艱難の中にでも飛びこんで行ける。
 
 心が悦びにあふれるときは、
 どんな苦痛も身にはさらにこたえない。
 これが、心の力によって立つ人間の尊さである。
 長期の苦難になればなるほど、
 この『なるほどの心』を
 育てることが大切である」


3つ目は、
「いやなことでも、心のにごりをすてて
 喜んで勇みきって引き受ける」
ということです。

物事をいやいや、不平不満を持ってやっていると、
それは心のにごりになり、毒になる。
喜んで勇みきってやると、それは徳になる、といいます。

これも本当にその通りですね。
うまいことをいうものだと感心します。
徳と毒に関する先生の名言があります。

「徳と毒はよく似ている。
 徳は毒のにごりを取ったものだ。
 毒になることでも、
 そのにごりを取れば徳になるのである。
 どんないやなことでも、
 心のにごりを捨てて
 勇んで引き受ける心が徳の心だ。
 いやなことでも、
 辛いとかいやとか思わないでやる、
 喜んで勇みきって引き受ける、
 働きつとめぬく、
 それが徳のできてゆく土台だ。
 ばからしいとか、いやだなあという
 にごった心をすっかり取って、
 感謝と歓喜で引き受けるなら
 辛いことほど徳になる」(4月11日)


闘病5000日、15年。
辛い思いを続けてきた先生ならではの言葉です。
 

ここに記した3つのことは平凡なことです。
しかし、これを身につけるのは至難の業です。

常岡先生はこれを50年かけて実行し、
そして誰からもいやがられない人間になったといわれています。
先生の非凡たる所以です。

少し長くなりましたが、
年末なのでプレゼントも兼ねて、もう一つ、言葉をプレゼントします。
来年があなたにとってすばらしい一年になりますように。


「運命の模様替え」

常に勇んで生きる人に天の心が動く。
天の心が変って後に、
天命も天の恵みも変えられるのである。
粗末な汚れた今日の運命の着物を着せられていても、
燃えるような勇んだ心の持主には明日の美しい着物と模様替えされる。
人の運命の着物は親なる神にまかせねばならぬ。
泣いても、わめいても
自分の運命は自分で頂かねばならない。
逃れる道はない、明るいお礼心で迎え勇ましく働いて、
模様替えの始まるまでつとめきるより他はない。(6月9日/10日)

2013年12月15日(日)14:09 
     中村 元(水族館プロデューサー)
     


    ※『致知』2014年1月号
      特集「君子、時中す」より


└────────────────────────┘


――斬新なアイデアを次々と生み出す秘訣はなんですか。


常識を常に疑っているんです。
みんながそうだと言っていることは、
本当にそうだろうかと、その奥を考えたくなる。


ですから結構理屈っぽいですね。
理屈っぽいというのは凄く大切で、
自分の哲学をつくります。


絶対にこうなんだって自信を持って
言い切らなければならないプロデューサーは、
しっかりした自分の哲学を
持っていなければなりません。


こちらの企画に皆が戸惑うようなことがあっても、
ちゃんと説得しなくてはいけませんから。


――各館とも厳しい条件の中で、
  再生を実現していくのは至難の業です。


僕は逆境であればあるほど頭が働くんです。
お金はいくらでもあるから
自由に考えてくださいって言われると、
逆に考えられなくなる。


だけど逆境では道は限られているから
見つけやすいじゃないですか。
ですから僕は、わりに順境の時でも
断崖ギリギリまで行くことにしているんです。


絶壁でこそ力が出るし、
そんなギリギリのところに優秀な人は来ませんから、
僕の力でも勝てる。
そこにやっぱり進化の道があるんですね。


――逆境に進化の道がある。


生物が進化するのは、
存亡の瀬戸際に追い込まれた時です。
キリンの首が長くなったのも、
シマウマに餌を奪られてしまうからでしょう。
大きな進化ってギリギリのところにあるんですよ。


山の水族館の前に手掛けた
東京池袋のサンシャイン水族館は、
海から遠く、都会の高層ビルの上にあるために
大量の水が使えない。
敷地の半分が屋上にあって
屋根がつくれない。


夏は設置した椅子が座れないくらい熱くなるし、
冬は逆に寒過ぎ、
来館者数は年間七十万人に落ち込んでいました。


そこで僕は、屋上を緑化して庭園にしました。
屋上緑化で有名な玉川高島屋を調べて、
最悪の環境を「天空のオアシス」というコンセプトに転換し、
オープン1年で来館者数224万人を記録しました。


大事なことは、
自分のダメなところを直視する
ことだと思います。


弱点を克服しようと思わずに、
武器にすることを考えていくと、
道は開けると思います。

2013年12月14日(土)08:48 
    駒村純一(森下仁丹社長)


      ※『致知』2014年1月号
        特集「君子、時中す」より


└────────────────────────┘


――2006年に社長に就任され、
  僅か2年で黒字転換を成し遂げられましたが、
  その要因はなんだと思われますか。


組織の構造自体を見直したことが大きかったと思います。
何をしたかというと、社内の部署を
一度すべてなくしてフラットにしました。


――部署を取り払う!?


簡単に言えば、部署をバラバラにして、
プロジェクトチームをたくさんつくるということです。


結局それまでは縦割りのお役所仕事になっていたんです。
まず企画部が商品のアイデアを考え、決裁を取り、
デザイン、製造、営業と、
それぞれ稟議書に判子が押されないと
次のステップに行けない。


それでは時間がかかってしまって、
仕事にスピード感が生まれないんですね。


そこで異なる部署の人同士でチームをつくり、
一つのテーマに関して徹底的に議論を重ねていったんです。
私もその現場にできる限り足を運び、
社員と対話をするよう心掛けていました。


――ああ、現場に出ていかれた。


役員室にいたって、ただ数字を眺めているだけで
何も起きないわけです。
リポートを待っていても出てきませんから、
逐次デイリーな情報を現場で拾い上げる。


例えば、商品のパッケージについて話し合った時、
私が「このデザイン買う気にならないね。
なんでこんなふうになってるの?」と聞くと、
「上の人がこれがいいって言っているので」と。


「いや、君らはどう思うの?」
「ちょっと古臭いかなと……」
「じゃあなんで言わない。
 いまの市場に合わないんだったら売れるわけないよね」


そこで分かったのは、
伝統企業のしきたりゆえに物凄く儀礼が先行し、
妙に上の人に遠慮してしまう部分があるということでした。


だから、バカ丁寧な言葉遣いは一切やめさせたんです。
例えば、「お言葉ですが」ではなく、
「私の意見としては」と言いなさいって。


そうすることで活発に議論ができる社風へ変えていくとともに、
市場のニーズを捉えた商品づくりに挑んでいきました。


それを何年も繰り返し続けていくことで、
160億円の負債があった森下仁丹は
現在、売上高96億円、4億円の経常利益を出す
企業へと生まれ変わりました。


――目覚ましい変化ですね。


それでも私自身が手応えを感じ始めたのは、
社長就任から4年くらい経った頃でした。


やはり組織というのは
「1」の力で「1」変わるのではなく、
「10」の力でようやく「1」変わるものだと思います。


組織をフラットにしたもう一つの理由は、
人材の適性を見るためでした。
この人、一体どういう人?
どこが最適なの?って。


ただ、それだけですべて見極めることは
できないので、まずはやってもらう。


だから私は年齢に関係なく
ポジションを逆転させ、
若い人を積極的に抜擢していきました。


――キャリアに拘らず、見込みのある人材をどんどん登用された。


もちろん全部が成功するってわけじゃない。
だから、人事は比較的早く変えました。
合わないなと思ったらすぐ移す。


この人の性格とか仕事のやり方を見てると、
どうもこっちの畑のほうがいいんじゃないかなと。
なのでそこに関しては「石の上にも三年」
というのとは少し違うんですよ。


どっちかというと朝令暮改。
半年くらい見ていると分かるんですね、
その人のポテンシャルが。
無理なことをいつまでもやらせていたら、
本来一番伸びるところまで潰れちゃうんです。


だからまずは得意なところで実績を出すことが第一です。
そこで才能を伸ばした上で、
次のキャリアで苦手分野にチャレンジして経験を積んでいく。


自分の持ち味を発揮できない状態で、
立派なジェネラリストにはなれないですよ。
自分の強み、そこがやっぱり自信の源になってきますから。


  * * *

・三菱商事の事業投資先で社長を務めていた駒村氏が
 52歳の時、赤字の森下仁丹へ転職した理由とは?

・伸びる社員と伸びない社員の差

・リーダーに求められるものは
 情報量とインスピレーション

・企業再建に当たって大切にしてきた言葉

・駒村流「経営の極意」とは?

続きはぜひ『致知』1月号P40をご一読ください。

2013年12月11日(水)08:33 
┌───────今日の注目の人───────┐



 「国際交渉プロフェッショナルの人間学」
         

     
  島田久仁彦(国際ネゴシエーター)


    ※『致知』2013年1月号
      特集「君子、時中す」より


└─────────────────────┘


念願の国連勤務がスタートし、
2週間目の金曜日。


この日、私は人生を決定づける人物との
出会いを果たすことになります。


同じ部署のIT担当の女性から
「将来国連で活躍したいのなら、
 会っておいたほうがいい人がいる」
と言われ、夕食に誘われました。


そこに現れたのは、女性のご主人とその友人。
ともに国連事務次長、つまり国連のナンバー2の方でした。
そして、そのご主人の友人こそ、
後々私のメンターとなるセルジオ・デメロ氏だったのです。


「こんなカッコいい人がいるのか。俺もこうなりたい!」


私は一瞬にして虜になってしまいました。
彼は紛争調停界のスーパーマンと
称されていたほど類い稀な交渉力を持ち、
次の国連事務総長に最も近い人物と言われていました。


国連で働く人は皆、彼のことを「ミスター・デメロ」ではなく、
敬意と親しみを込めて「セルジオ」と呼んでいました。


私の知る限り、いまだかつて
ファーストネームで呼ばれた国連幹部は、
彼を除いては1人もいません。
ゆえに、ここでも「セルジオ」と呼ばせていただくことにします。


国連のカリスマ的存在の2人との会食を終え、
翌週の月曜日の朝一番、
セルジオが私のもとにやってきました。


「おまえは非常に熱い男だ。
 お互いに物凄く好きになるか、嫌いになるか、
 どっちかだと思う。
 俺と一緒に紛争調停や交渉の仕事をしてみないか」


私は二つ返事で引き受けました。
当時の私は上昇志向の塊であり、
何よりも「この人についていきたい」という思いが強くありました。
こうして私は紛争調停官としての第一歩を踏み出すことになったのです。


(中略)


セルジオは交渉術を手取り足取り教えてはくれませんでした。
とにかく背中を見て学べ、というスタンス。


彼がどういう話し方をしているか、
どんなジェスチャーをしているか、
それに対する相手の反応はどうか。


目線はセルジオのほうを向いたまま、メモを取る。
そうやって私はセルジオを絶えず観察し、
一つでも多くのことを盗もうと心掛けていました。


その中で学んだことは数限りなくありますが、
最も印象深く刻まれているのが
彼の人柄であり、人に対する接し方です。


セルジオが長期の仕事を終え、
久々にオフィスに帰ってくると、
その日の午前中はまず仕事になりませんでした。
というのも、職員の多くが
セルジオのもとにやってくるからです。


彼は常に明るく笑顔を振りまき、
誰に対しても分け隔てなく接していました。


そして、職員一人ひとりの顔と名前が一致しているのはもちろん、
「病気のお子さんは元気にしている?」
「最近二人目のお嬢さんが生まれたんだって? おめでとう」など、
その人に関するホットな情報が
必ず頭に入っていたのです。


交渉の現場においても、
彼が部屋に入るとパッと明るくなる。
血生臭い話も和やかな雰囲気で合意へと運んでいく。
そういう仕事上の絶妙な呼吸を持った人でした。


皆に同じ態度で接する。
いつも笑顔でいる。


一見当たり前とも思えるようなことを
徹底することで人望は生まれ、
周りの人が自然と力を貸してくれたり、
プラスアルファの仕事をしてくれたりする。


そのことをセルジオは身を以て教えてくれました。
これはどんな仕事にも当てはまることではないでしょうか。


  * * *

その他、

・交渉の第一条件
・最善手を導き出す秘訣
・エレベータープレゼンテーション
・交渉とは勝ち負けではない
・プロフェッショナルの流儀
・交渉に当たって心に留めてきた信条

等々、仕事に生かせる極意が満載です。

続きはぜひ『致知』1月号P34をご一読ください。

2013年12月09日(月)08:37 
┌───────今日の注目ワード───────┐



  「疲れているようでは
       本当の一所懸命ではない」
         

     
   金原まさ子(102歳の俳家)


     ※『致知』2013年12月号
       連載「生涯現役」より


└──────────────────────┘


――何か、よい俳句をつくる秘訣などが
  あれば教えてください。


それは、すべてのことに一所懸命になるっていう、
そのことに当てはまるのではないでしょうか。


私は俳句を始めてから時間の許す限り、
昔から現代までの高名な俳人の句や評伝を読み、
俳句総合誌も月に5、6冊は読んでいました。
一心でした。


生きることでも、人を愛することでも、
仕事をすることでも、自分の命を続けていくことでも、
そのために一所懸命になる、ということ。


で、そうなったなら疲れませんのよ。
一所懸命にしているのに疲れる。
それは本当の一所懸命じゃないですよねぇ。


――そういう生き方の姿勢が、
  俳句にも表れてくるのですね。


そう思います。
そのくせ、私は「頑張れ」なんて無闇には言えません。
ましてや、若くして重い病気になったりした人に。


末期がんの患者さんが入る病院がありますが、
私、あそこへ行った時に、
何が言えるのだろうかと思っています。


(中略)


「頑張ろう」って励まされて喜ぶ方もいますよ。
だけどその反対に「一緒に苦しもうよ。泣こうよ」って言われて、
安らぐ人もあると思います。


私ね、人間と人間との間で、
思いやり以上に大切なものが他にあるだろうかって思うのです。
相手の気持ちが分かるということ。
それが最高のことじゃないかなぁって。


――いつ、そのように思われたのですか。


私が五十歳くらいの時、主人に、
他の女性のところへ5年ほど
行かれてしまったことがあるんですけど、
私、相手の女の人を恨みませんでした。


主人は自分の意思で
その人のところへ行ったのであって、
「奪われ」るなどということはあり得ないのです。
恨むなら主人だけ(笑)。
そう思うことで平らかな気持ちになれました。


(中略)


私、本を読んで、いいなと思う言葉や文章に出合うと
ノートに書き写すことをしているんですが、
その中に、フランシス・ベーコン
という哲学者のこんな言葉があるんです。


「神を拒む者は人間としての高潔さを失う。
 なぜなら人間は疑いなく
 その肉体によって野獣と同族である。
 そしてもし人間が精神によって
 神に似ていないとしたら、
 卑しく下劣な生き物になる」


私、本当にそう思います。
人間も他の動物たちと同じく、
起きて、食べて、生殖して、死ぬ。


ただ人間の脳は非常に発達しているから、
これをでき得る限りよいことのために
使わなくちゃいけないと。


サミュエル・ウルマンは

「青春とは
 人生のある期間をいうのではなく、
 心の様相をいう」

と詩に綴っていますが、
本当にそのとおりですね。


だから私はいまも、これからも、
ずっとずっと青春を生きていきたい
と思っています。

2013年12月08日(日)13:57 
皆さんがいま、当たり前のように
使っている「パソコン」。


正式名称は「パーソナル・コンピューター」、
つまり、個人によって占有され、
使用されるコンピューターのことです。


発明者はアメリカの科学者、アラン・ケイ。
彼は、当時まだ「巨大な機械」だったコンピューターを、
子供も使いこなせるタブレット端末として思い描き、
「パーソナル・コンピューター」と名付けたのでした。


そして、アランの描いた未来が
現実のものとなっていることはご承知のとおりです。


「時代はいつも魅力的な言葉から始まる」


そのように語る
気鋭のクリエイティブディレクター・細田高広氏に

未来の目的地を設計し、
熱狂的ストーリーを生み出す「ビジョナリーワード」は
いかにして生み出されるのか、伺いました。



┌───────今日の注目ワード───────┐



  「時代はいつも魅力的な言葉から始まる」
         

     
   細田高広(クリエイティブディレクター)


     ※『致知』2014年1月号
       連載「致知随想」より


└──────────────────────┘


「十年以内に人類を月に送り込む」
(ジョン・F・ケネディ)

「ポケットに入るラジオをつくれ」
(井深大)

「女の体を自由にする」
(ココ・シャネル)


いつの時代も、
未来はこうした魅力的な言葉によって
創造されてきました。


私は広告会社のコピーライターとして
企業ブランディングのお手伝いをする中で、
多くの企業が前年比何%アップといった「数字の経営」に汲々とし、
その数字がなんのためにあるのかという原点が
見失われている現状を痛感しています。


経営は本来、こんなものをつくりたい、こういう時代にしたい、
といった言葉から始まるものであり、
「言葉の経営」こそが社員を躍動させ、
時代を開く原動力になると私は考えるのです。


私はかねて主に企業の宣伝部の方と向き合い、
広告やCM制作のお手伝いをしてきました。


ところがせっかく知恵を絞っても、
その企業のトップが別の場所で
私たちが発信したメッセージと異なる発言を
していることがしばしばあり、
自分の仕事に疑問を抱いていました。


転機となったのはロサンゼルスの会社への出向でした。
現地で一緒に仕事をしたアップルやペプシ、
ゲーターレードといった会社のトップの口からは、
「こういうものがあったらいいよね」といった
無邪気な夢や常識外れな発想が、
ドキドキするような魅力的な言葉となってポンポン飛び出し、
それを周りが具体的な数字に落とし込む形で経営が行われていました。


周囲との軋轢を避けるため、
当たり障りのない発言しかしない
多くの日本のトップとの違いを痛感したのです。


以来私は、クライアントの意思決定に関わる経営層と直接向き合い、
マーケティング戦略や企業戦略といった
より上流の部分からブランディングに関わることで、
的確で魅力的なメッセージを発信する努力を重ねているのです。


冒頭の「ポケットに入るラジオをつくれ」という言葉を
井深大氏が発信した当時、
ラジオというのは大きな「家具」でした。


単に「小さなラジオをつくれ」という指示であったなら、
従来のラジオを少し小さくしたものしかできなかったでしょう。
「ポケットに入る」という言葉によって、
ラジオを外に持ち歩くという新しい発想が共有され、
形になったと思うのです。


またシャネルは、
窮屈な衣服で心身ともに束縛されていた女性を解放する、
というブランドに懸ける思いを、
「女の体を自由にする」という明快な言葉で表現することによって、
新しい未来像を提示し、社会から絶大な支持を集めたのです。


言葉には、人の意識や現実を大きく変える力があります。

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