2015年01月27日(火)11:19 
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「人生のテーマ」
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忘れられない詩がある。

十五歳の重度脳性マヒの少年が、
その短い生涯の中でたった一篇、
命を絞るようにして書き残した詩である。

 
  ごめんなさいね おかあさん

  ごめんなさいね おかあさん

  ぼくが生まれて ごめんなさい

  ぼくを背負う かあさんの

  細いうなじに ぼくはいう

  ぼくさえ 生まれなかったら

  かあさんの しらがもなかったろうね

  大きくなった このぼくを

  背負って歩く 悲しさも

 「かたわな子だね」とふりかえる

  つめたい視線に 泣くことも

  ぼくさえ 生まれなかったら

 
  ありがとう おかあさん

  ありがとう おかあさん

  おかあさんが いるかぎり

  ぼくは生きていくのです

  脳性マヒを 生きていく

  やさしさこそが 大切で

  悲しさこそが 美しい

  そんな 人の生き方を

  教えてくれた おかあさん

  おかあさん

  あなたがそこに いるかぎり
 

『致知』二〇〇二年九月号で向野幾世さんが紹介した詩である。

 作者は山田康文くん。

 生まれた時から全身が不自由、口も利けない。

 通称やっちゃん。

 そのやっちゃんを養護学校の先生であった向野さんが抱きしめ、
 彼の言葉を全身で聞く。

 向野さんがいう言葉がやっちゃんのいいたい言葉だったら、
 やっちゃんがウインクでイエスのサイン。

 ノーの時は舌を出す。

 気の遠くなるような作業を経て、この詩は生まれた。
 そしてその二か月後、少年は亡くなった。


 自分を生み育ててくれた母親に報いたい。
 その思いがこの少年の人生のテーマだったといえる。

 短い生涯ながら少年は見事にそのテーマを生ききり、
 それを一篇の詩に結晶させて、逝った。

 生前、ひと言の言葉も発し得なかった少年が、
 生涯を懸けてうたいあげた命の絶唱。

 この詩が私たちに突きつけてくるものは重い。
 

 人は皆、一個の天真を宿してこの世に生まれてくる、という。
 その一個の天真を深く掘り下げ、高め、
 仕上げていくことこそ、各人が果たすべき
 人生のテーマといえるのではないか。

2015年01月26日(月)09:07 
┌──────今日の注目の人────────┐



    「厳寒の中で咲く梅の花ように」


      石川真理子(文筆家)

      
    ※『致知』2015年2月号
     特集「未来をひらく」より


└─────────────────────┘

祖母の人生は本当に苦難の連続でした。


そして日本が大東亜戦争に向かっていく中で、
最大の苦難が訪れるんです。


それは最愛の長男の死でした。


私にとっては伯父に当たる方で、
元々は証券会社に勤め、
将来を嘱望されておりましたが、
応召して南京で負傷をし、
傷痍軍人として帰ってまいりました。


その後札幌に転勤しましたが、
片手の指を失い、胸に銃弾を受けて
大怪我をしておりましたので、
もう戦いに行くこともないだろう。


年齢も28だし、お嫁さんを探して
結婚をさせようという話をしていました。


ところが終戦の年の3月に、
再び召集されて仙台から出征することになった
という電報が届いたんですね。


祖母は一目息子に会いたいと願って
夜汽車で仙台へ行き、特別に許されて
一晩だけお酒を酌み交わしてお別れをしました。


その翌日、息子を乗せた輸送船が出港していくのを、
祖母は仙台港から見送っていました。


ところがその最中に船は爆撃を受け、
祖母は目の前で最愛の息子を失ったんです。


それでも祖母は、泣きもせず
しっかりとそこに立っていたそうです……。


仙台でお葬式を終え、祖母は遺骨を抱えて
東京に帰ってきたんですけれども、
取り乱している祖父の傍らで、


祖母は蝋人形のように真っ白な顔をして、
それでも涙を流さず、遺骨を抱いて
静かにしていたそうなんです。


心の内の苦しみは
いかばかりだったでしょうか。


祖母は愛国婦人会の支部長をしていましたので、
身内を失った女性たちの面倒も見ておりました。


自分も苦しいんだけれども、
その苦しんでいる方々の辛さを
一身に背負っていたのだと思います。


自分の心の内はどうあれ、
決して動じないでいた祖母は、
本当に強い愛に溢れた人であったと思います。


祖母の言葉は、これほどの苦しみの中から
出てきたものだからこそ輝いているんですね。


祖母はよく、


「お天道様に見込まれていると思えば、
 辛いこともありがたい」


と申しておりました。


こんなにいろいろ辛いことがあるのは、
お天道様に見込まれているからだと。


辛いことを乗り越えさえすれば、
そこには必ず光があるということを
祖母は分かっていたんですね。


これは自分がより大きな幸福を得るため、
そして人間としてさらに大きくなるために与えられた、
神様からの、お天道様からのありがたいプレゼントなんだと
祖母は受け止めていました。


実家のお庭には梅の木がありまして、
冬になると祖母と一緒にそれを眺めるのを
私はいつも楽しみにしていました。


梅の花ってすごく綺麗ですよね。


何もないモノトーンの冬の景色の中で、
梅の枝にぽつん、ぽつんと花が咲き始めると、
とても高貴な香りが漂います。


祖母はまさに厳寒の中で咲く梅の花
のようであったと思います。


「腹をくくりなされ。
 何度だって、腹をくくって覚悟を改めなさい」


祖母は、夫を病で失って辛い生活を
余儀なくされていた長女にこう諭したそうですが、
恐らく祖母自身が、苦難の中で何度も何度も
腹をくくっていたのだろうと思います。


負けてなるものか、
何があっても動じるものか。


常々そう自分を戒めていたからこそ、
最愛の息子の死を目の当たりにしても、
静かにその事実を受け止め、
周囲の人たちを気遣うこともできたんですね。


辛い中でも花を咲かせる。
これが本物の女子力ではないかと思います・・・

■2015年01月11日(日)17:59  鏡開き
今日1月11日は「鏡開きの日」です。

「鏡開きの日」には、今年一年の家庭円満を願いながら、
神様に供えた鏡餅をおさがりとして頂くという
日本特有の風習が今に引き続がれています。

日本にはまだまだ先人達が古来より伝承してきた行事や風習が多くあり
私たちも次の世代に、語り継いでいかなければと・・・と思います。

【鏡餅の意味と由来】は

古い時代には鏡が神聖なものとして扱われており、
今でも寺社などでは、鏡を御神体として祀ってありますが、
鏡餅も年神様の依り代、つまり御神体なので
「鏡餅」と呼ばれるようになったそうです。

http://chichi.happy.nu/24/kagami/

●鏡餅は、大小の丸い餅を重ねており、
 これは円満に年を重ねることを意味し、

●お餅の上に載せる橙は、その年になった実を落とさずに
 次の年にも、また次の年にも新しい実をつけることから
 何代もの橙が1つの木についているところを家族にたとえ
 家系代々の長寿や繁栄を願う縁起物として飾ります。

●昆布は、喜ぶの語呂合わせと共に
 子生(こぶ)(子供が生れる)の意味があります。

●裏白は常緑樹のシダで、葉が左右対称に生えるので
 対になっていることから、夫婦円満を意味し、
 古い葉が落ちずに新しい葉が出てくることから
 橙と同じように家族の繁栄を願う気持ちも込められています。

 また裏白の葉は、表が緑で裏が白いことから
 心に裏表が無い「清廉潔白」を表すとともに、
 白髪になるまでの長寿を願うものとされています。


【鏡開きの意味と由来】は

 神様にお供えした鏡餅を食べるのは、神様との繋がりを強め、
 神様のパワーを頂けると考えられていました。

「鏡開き」の風習は、もともと武家から始まったそうで、
 刃物で切るのは切腹を連想させるため、包丁などの刃物で切るのは禁物で、
 手で割り砕くか、木槌で割るようになりました。

 また、鏡餅には年神様が宿っているので、
 神様とも縁を切らないように末広がりを意味する「開く」を使うようになり、
 「鏡開き」になったといわれています。


先人の思いを受け留め、今日は鏡餅入りの温かなぜんざいなどをいただき、
今年も一年間、無病息災でイキイキとした毎日をお過ごしくださいませ。

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