2014年02月13日(木)08:45 
「オリンピックの金メダルは
 選ばれし者だけが取れるけれども、
 人生の金メダルは誰にでも取れる」


そう話す94歳の
富山の薬売り・中村太郎氏が語った
「生きた人生哲学」とは――。


┌────今日の注目の人───────┐



  「人生の金メダルを取ろう」
         

   中村太郎(富山の薬売り)

     
  ※『致知』2014年3月号
    連載「生涯現役」より


└──────────────────┘

――現役最高齢の富山の薬売りとして
  いまもご活躍と伺いました。


東京に住んでいる時には、
1000名くらいお客さんを持っていたけど、
60歳でこっち(埼玉県)に引っ越してからは、
500名くらいになったかな。


僕のお得意さんはJRの沿線が多くてね、
いまはアタッシュケースに薬を詰めて、
1日に3軒くらいを回れるようにしているの。


――とても90代には見えないくらいお元気ですね。


僕がいまも薬売りを続けられているのは、
歩いてお得意さんを回ってきたからなんだな。


最寄り駅から目的の家まで往復していると、
1日で優に1万歩は歩く。


ところが僕よりよっぽど若い連中は
少しでも多く回って利益を上げようとして、
バイクや自動車なんかに頼ってしまったものだから、
足腰がダメになって皆やめていったもんね。


――便利さが身を滅ぼしたと。


それから、いま盛んにオリンピックで
金メダルを取ろうと騒いでいるでしょう。


でも本当は金メダルには
有形のものと無形のものとがあると僕は考えている。


無形の金メダルというのは、
人生の金メダルと言ってもいい。


僕は縁ある人たちにこう言っているの。


「人生の金メダルを取ろう」と。


僕はこの運動の会長をしているんだな(笑)。


――人生の金メダル?


そう。日本人はね、米を主食にして
いろんな副食を食べているから長寿なんだよ。


日本の朝食は世界で一番贅沢で美味しいのに、
日本人はそれに気づいていない。


僕は2度シルクロードを旅したことがあるけど、
どこの国の朝食も本当に味気なかった。


それと比べて、我われは毎日食べるご飯のおかげで
長生きができるんだから、
そのご飯にちなんで金メダルを取ろうと言うんだよ。


米という字は下からでも上からでも
八十という文字が入っているでしょう。


だから80歳までは生きなさい、と。


それが金メダルを取るということ。


80歳まで生きない人は、
代金を払わずに店を出ていく
無銭飲食と一緒だって言っている(笑)。


――それは大変ですね(笑)。


僕はすでに金メダルの所有者になっているけど、
いまは何歳まで生きられるかということに一番興味がある。

  * * *

江戸時代から受け継がれる
富山の薬売りの世界にあって
現役最高齢の中村氏。

その旺盛な活動の原動力とは――。


続きはぜひ『致知』3月号P96〜P98をご一読ください。

2014年02月11日(火)10:07 
◆ 致知出版社の「人間力メルマガ」-----2014年2月11日 ◆


先天性骨形成不全症、という病を
ご存じでしょうか。


骨が健全に育たず、
もろく、すぐに折れてしまう難病で、
有効な治療法もありません。


生まれつきこの病を抱え、
現在も身長108センチ、体重27キロの
岩本良子さん。


小学校中退、
激痛に耐え寝たきりの日々……。


そんな逆境を乗り越え、
個人事業主として活躍している
岩本さんが語った
「心の持ち方」とは――。


┌────今日の注目の人───────┐



「宿命は変えられずとも運命は変えられる」

      
岩本良子(アイインターナショナル社長)

     
 ※『致知』2014年3月号
   特集「自分の城は自分で守る」より


└──────────────────┘


――現在、会社の代表をされているとのことですが、
  どういったお仕事をされているのでしょうか。


化粧品や日用品、健康食品など、
私がいいと思ったものを
お仲間の皆さんに紹介し、
その方々からまた愛用者を
増やしていく格好です。


10年前まではシャルレの代理店をしていまして、
事務スタッフさんにも来てもらって
訪問販売の仕事をしていたのですが、
私がこういう体の上に、
一緒に住んでいる両親が
だいぶ高齢になってきました。


現在、父は89歳、母は97歳。
3年前に父は脳梗塞で倒れ、
母はその前に膝の手術をしましたが、
私はこの父と母を絶対に守ると決めているんです。


――岩本さんご自身が。


はい。できる限り自分でサポートしています。


ただ私は生まれつき「先天性骨形成不全症」という病で、
現在身長108センチ、体重27キロ。
ケアするにも相当な負担がかかります。


訪問販売で飛び回ってばかりでは
私の体も不安ですし、
両親に何かあった時に
対応できませんから、
現在のスタイルに仕事を変えたのです。


(中略)


私はこの体に生まれて、
両親のせいだとか、
あるいは国が何もしてくれない、
なんて思ったことは一度もないんです。


人間には宿命と運命があります。
宿命は親子の縁であったり、
生まれる国や時代など、
自分では決められない、
神が決める領域のこと。


私がハンディを負って
生まれたことも宿命です。


でも、だからといって
不幸に生きる必要はない。


私はいつも


「自分の人生、自分持ち」


と言っていますが、
運命はいくらでも変えられます。


――運命を変えるポイントはなんでしょうか。


私は「身障者らしくない」と言われてきましたが(笑)、
身障者は肩を落として暗い人生を
生きなきゃいけないなんて、
誰が決めたんですか。


私は「身障者らしく」生きるのではなく、
「自分らしく」生きたかった。


身障者でも会社をやるし、
ピアスもつけ、
ビアガーデンにも行きます。
運転免許も取って車にも乗るわけです(笑)。


「自分らしく」生きると決めた時、
運命は変わると思います。


また、感謝の気持ちを忘れずに
いまいる場所で精いっぱい楽しく生きること。


訪問販売も、そうでなくても目立つのに、
やるべきかと悩んだこともあります。


でもすべて、やるからには
好きになろうと思ってやってきました。


――そのスピリッツが岩本さんの人生を
  つくってきたのですね。


むしろ、ハンディを負ったから
普通の人が学べないこともたくさん学んで、
それは私の心と体にいっぱい蓄積されています。


泥棒さんが来ようと、
火事になろうと誰も持っていけない。
この経験は、私だけの財産です。


一度きりの人生、
どんな宿命を負って生まれても、
「自分自身に生まれてよかった」と言える
人生にしていくことが、
自分の人生を自分で守ることに
繋がるのではないでしょうか。


  * * *


咳をしただけで、
布団を乗せただけで骨が折れる。

そんな子供時代からいかなる訓練を経て
一人で生活できるようになっていったのか。

岩本さんの壮絶な半生とは――。


続きはぜひ『致知』3月号P40〜P44をご一読ください。

2014年02月08日(土)09:11 
┌────今日の注目の人────────┐



「恩に報いていく人こそ幸運に恵まれる」
         

 北尾吉孝(SBIホールディングス社長)
 北 康利(作家)

     
 ※『致知』2014年3月号
  特集「自分の城は自分で守る」より


└───────────────────┘



北尾 出光さんは人間尊重の精神を深くお持ちで、
   おそらくその根本は
   彼の両親から来ているところが
   大きいと思います。


出光さんの父親は
福岡県の宗像で染め物業を営み、


「働け。
 そして質素にせよ。
 ぜいたくをするな」


というのが口癖だったそうです。


しかし、化学染料の台頭で
藍玉が売れなくなり、倒産してしまう。


それでも一所懸命に働き、
僅かな稼ぎの中から
彼に学費を仕送りし続けている。


そういう親の愛情を一身に受けたことが
その後の人生に繋がっていくんだと思います。


北 出光さんは最初に酒井商会という
  小さな店に丁稚奉公に行きますよね。


その主人である酒井賀一郎さんに感謝をして、
後年、酒井さんが亡くなってからも、
出光の神戸支店へ行く前に必ず酒井商店に寄って、
酒井さんの遺影に頭を下げるのが習慣だった。


その部屋は謝恩の間と呼ばれていたと。


北尾 受けた恩を忘れない。


北 驚いたのは、家を建てる時に、
  親の家より高い所には建てず低い所に建てた。


お墓の大きさも、先祖の墓が一番大きくて、
次が両親の墓で、自分の墓は一番小さい墓にしたこと。


親を含め、受けた恩を忘れない。
これは優秀な人に共通した生き方のベースです。
 

北尾 もう一つ、出光さんの人格形成に
   大きな影響を与えたのが
   神戸高商(現・神戸大学)で
   出会った先生の存在です。


学問的には、内池廉吉教授がそうでしょう。


「これからは金儲けをする商人はいらなくなる。
 生産者と消費者の間にあって、
 ただ一つの配給業者のみが残る」


という教えを受けて、
中間搾取するものを排除し、
できるだけ安く、いまで言う
カスタマー・サティスファクション(顧客満足度)を
100%以上に持っていこうと考えた。


それが後に創り上げる「大地域小売業」に
繋がっていくわけです。


それは石油製品の製造を行うだけでなく、
販売まで直結にするという仕組みです。


消費者にとっていいと思ったことを
何がなんでもやり抜く実行力がまた凄い。


それから精神面では、
水島銕也校長の教育ですね。


士魂商才、つまり清廉潔白で
責任感の強い武士の魂をもって、
商人として機敏に才を発揮する
ということを叩き込まれた。


そしてまた、事業を起こすにあたって
資金を提供してくれた日田重太郎さんに
出会うのも神戸高商の時ですからね。


北 本当に人間の縁というのは不思議なものだと思います。


北尾 資産家だった日田さんは
   「こいつは将来、大きなことをやる男だ」と見込んで、
   自分の別荘を売った8千円のうち6千円を出光佐三に恵んだ。


北 それも「返す必要はない」と言ったと。
  そんなありがたい人いないですよ(笑)。


北尾 出光さんはその恩に応えて、
   後に造った船に「日田丸」と
   名前を付けていましたよね。


神佑天助という言葉を出光さんは
よく使われていますけど、
恩にきちっと報いていく、
そういう心掛けの人は天の配剤ともいうべき
幸運に恵まれるのでしょう。


  * * *

その他、

・マイナスからの再出発で出光佐三が放った言葉

・なぜいま出光佐三が求められるのか

・逆境に屈しなかった独立心

・経営とは時間の関数である

・万難を排して必ずやりとげる徹底心


続きはぜひ『致知』3月号P60〜P68をご一読ください。

2014年02月04日(火)11:22 
  「日本の選択が問われている」
         

   牛尾治朗(ウシオ電機会長)

     
  ※『致知』2014年3月号
    連載「巻頭の言葉」より


└──────────────────┘


東京オリンピック・パラリンピックの
開催決定によって、
日本の行く手に明るい光が射してきました。


重苦しい閉塞感に覆われていた世の中が、
未来に向かって確実に動き始めたことが実感されます。


(中略)


私たちがこの流れを
確かなものにするためには、
克服すべき課題がいくつかあります。


その一つが、減少に転じた人口問題です。


少子化で日本に先行していたフランスが、
20年がかりで人口減少に
ようやく歯止めをかけたことから、


日本がすぐに手を打っても
6年後のオリンピック時の人口は、
確実にいまよりも減っていることが明らかです。


労働人口の減少はさらに深刻です。


加えて、ビジネスの場を
日本からシンガポールや香港、
ヨーロッパに移す動きも加速しています。


こうした先端的な地域は
なんでも自由に行え、
ビジネスがやりやすいからです。


一方の日本は、政府の規制が至る所に
張り巡らされており、
とりわけ他国の人にとって
不便で閉鎖的で住みにくい社会であることは否めません。


ここへ来て日本の経常収支も、
円安やエネルギーの高騰などにより
貿易収支の悪化が拡大し、
とうとう赤字に転落してしまいました。


日本がここから再浮上するためには、
真の国際都市へと変貌を遂げる必要があります。


昨年末には、200年以上の歴史を持つ
国内最大手の製薬会社・武田薬品工業が、
次期社長にフランス人を
起用する人事を発表しました。


日本の大手企業の売り上げの大半が、
いまや海外で賄われている現状を鑑みても、
今後こうした動きは益々活発になり、


6年後には東証一部上場企業の
4分の1くらいは、
外国人が役員を務めている可能性があります。


TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)の交渉も
今年は大きく前進するでしょう。


国内には消極的な意見も根強くありますが、
これを上手く生かすことができれば
日本の国際的な立場は非常に有利になります。


当然外圧にも見舞われるでしょうが、
日本の変革が常に外圧に促されて
実現してきた歴史を思い出し、
ここはあえて外圧を利用し
変革の起爆剤にすることが
一番の選択だと私は考えます。


  * * *

続きはぜひ『致知』3月号P4〜をご一読ください。

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